
シャーロックホームズ像
分去れの碑から旧北国[ほっこく]街道に入りすぐ右手にある。名探偵シャーロック・ホームズは、イギリスの小説家アーサー・コナン・ドイルの小説の主人公。この像は、翻訳家・延原謙[のぶはらけん]が追分油屋旅館の離れを仕事場に、『シャーロック・ホームズ』シリーズの翻訳を手がけたことから、ホームズ生誕100周年を記念して昭和63年(1988)に作られた。パイプをくわえ、難事件を次々と解決してきた小説のヒーローが、追分の地にたたずんでいる。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
分去れの碑から旧北国[ほっこく]街道に入りすぐ右手にある。名探偵シャーロック・ホームズは、イギリスの小説家アーサー・コナン・ドイルの小説の主人公。この像は、翻訳家・延原謙[のぶはらけん]が追分油屋旅館の離れを仕事場に、『シャーロック・ホームズ』シリーズの翻訳を手がけたことから、ホームズ生誕100周年を記念して昭和63年(1988)に作られた。パイプをくわえ、難事件を次々と解決してきた小説のヒーローが、追分の地にたたずんでいる。
京都へ向かう中山道と、越後へ通じる北国街道の分岐点。旅人同士が、ここで別れを惜しみ、涙とともに袂[たもと]を分けて旅を続けたといわれるのが、名の由来だ。道標のそばには、石の常夜燈などが、当時のままに立っている。石碑には、「さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを追分の宿」の歌が刻まれている。これは、江戸から来た場合、右へ行けば月の名所更科から善光寺を越えて越後路へ。左に進めば、木曽路から東海道を通り、桜の名所吉野へと道が続いていることを示している。
大奥の女中のなかで大年寄にまで上り詰めた絵島(1681~1741)は、6代将軍家宣の墓参の際に、芝居見物・宴席で門限を破ったことなどを理由に、江戸から高遠へ遠流[おんる]となった。それから61歳で生涯を終えるまでの27年間、囲み屋敷に幽閉されることになる。歴史博物館の敷地内に見取り図を元に当時の屋敷が再現され、一般に公開されている。8畳1間と湯殿などがあるだけで朝夕の2食(一汁一菜)のみ、読書や外部との交流も許されず、極めて質素な生活を送ったという。周囲を囲む塀の忍返が、その過酷さを物語っている。
南軽井沢にある総合リゾート施設「軽井沢タリアセン」内にある洋館。フランス文学者、朝吹登水子が別荘として使用していた建物。昭和6年(1931)建築の国の登録有形文化財で、登水子の父である実業家・朝吹常吉が建てたもの。設計は軽井沢に多くの西洋建築を残したW.M.ヴォーリズ。豪華なサロンや、防音のために1階と2階の間に敷き詰められたおが屑なども当時のまま。各種イベントも開催。
小諸在住時代の島崎藤村の住宅を貞祥寺境内に移築したもの。茅葺き屋根の邸宅は8畳の書斎と居間、和室2室からなり、開館時間内は室内を見学できる。
六本辻近くの軽井沢霊園の一角にある外人墓地。ここには宣教師をはじめ、軽井沢で没した外国人が静かに眠る。石や木の十字架が立ち並ぶ様子は異国情緒あふれ、たくさんの外国人に愛された軽井沢の歴史がしのばれる。
江戸時代、宿場の人々に法令を広めるため、幕府から通達される法度や掟書を掲げた場所。古文書をもとに昭和58年(1983)に復元された。掲げられている高札の本物は追分宿郷土館に収蔵されている。
成田山山門前でにっこりとほほえむお地蔵さま。長寿地蔵尊として有名で、健康長寿にあやかろうと県内外から参拝客が訪れるほどの人気ぶり。毎月第2土曜には、参道で山門市も開催される。
野辺山高原の代表的な記念撮影スポット。山間を縫うように走るJR小海線は、JRの路線のなかでも標高の一番高い1375mの地点を通過する。このポイントは、清里駅と野辺山駅の中間地点の旧国道と交差する踏切にあたり、そばには最高地点を示す木製の標柱が立ち、線路をはさんで反対側にも日本鉄道最高地点の石碑がある。周辺には、食事処、高原野菜などを販売する直売店もある。最寄りの野辺山駅は標高1345mに位置するJR最高所の駅で、記念に入場券150円を購入する観光客も多い。
作家の室生犀星は、大正9年(1920)に初めて軽井沢を訪れて以来、その魅力に惹かれ、亡くなる前年までの40数年間、毎夏をここで過ごした。この別荘は昭和6年(1931)に建てられた和風の平屋で、庭は犀星自らが築いたという。木立の中にひっそりたたずむ旧宅は、文学者が好んだ在りし日の軽井沢を今も伝えている。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。