玄向寺
女鳥羽山麓を背景に、浅間温泉と美ヶ原温泉の中間にある浄土宗の寺。寛文9年(1669)に、松本城主・水野家三代の忠直が廟所を造営して以来、水野家の菩提寺として栄えた。境内の庭園では5月上旬に1350余株ものボタンが咲く。5月第2土・日曜に玄向寺ぼたん祭・雅楽演奏会を開催。文政11年(1828)に槍ヶ岳を開山した播隆上人[ばんりゅうしょうにん]は、玄向寺を準備基地としたことからその遺品などが残されている。参道には昭和4年(1929)に立てられた播隆上人像がある。英語通訳あり。
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女鳥羽山麓を背景に、浅間温泉と美ヶ原温泉の中間にある浄土宗の寺。寛文9年(1669)に、松本城主・水野家三代の忠直が廟所を造営して以来、水野家の菩提寺として栄えた。境内の庭園では5月上旬に1350余株ものボタンが咲く。5月第2土・日曜に玄向寺ぼたん祭・雅楽演奏会を開催。文政11年(1828)に槍ヶ岳を開山した播隆上人[ばんりゅうしょうにん]は、玄向寺を準備基地としたことからその遺品などが残されている。参道には昭和4年(1929)に立てられた播隆上人像がある。英語通訳あり。
万物を生成させる生島神と、万物を満ち足らしめる足島神を祀る信濃の古社。池に囲まれた神島に鎮座する上宮(御本社)の内殿(県宝)には床板がなく、大地そのものの土間が御神体とされている。武田信玄公の願文をはじめとする戦国武将の起請文[きしょうもん](重要文化財)など、貴重な文化財も多数。真田信幸公寄進の下宮(諏訪神社)の社殿、県内最大級の歌舞伎舞台は長野県宝に指定されている。境内の子安社、夫婦欅、家族欅は良縁子宝・安産子育の御神徳がある。
天文16年(1547)、真田幸隆[ゆきたか]が開いた寺。その後昌幸[まさゆき]によって整備され、真田氏の菩提所となった。参道入口にそびえ立つアーチ型の大きな石門が有名。境内には幸隆夫妻と昌幸の墓がある。春のシダレザクラも見事。
平安時代から鎌倉時代にこの地を治めた海野氏の氏神で、海野宿の鎮守でもある。境内には樹齢700年の大ケヤキがそびえ、地元出身の名力士・雷電を記念した土俵も。毎年4月の第2日曜日には例祭、11月第1日曜日には新嘗祭が行われ、いっそうの賑わいをみせる。
祭神は、日本神話で名高い天照大神が天の岩窟に隠れた時、天の岩戸を怪力で開けられたといわれる天手力雄命。戸隠神社の本社として、開運・心願成就・五穀豊穣などを願う人々が全国から集ってくる。赤い随神門はもとの仁王門。茅葺き屋根が荘厳な雰囲気を醸し出す。樹齢400年の杉並木が続き、並木の間には江戸時代まであった大講堂や院坊跡の石積みも見られ、修験道が盛んだった往時を伝える。奥社の左手には、戸隠の地主神で、水の神、縁結び・虫歯の神、農業の神として信仰を集める九頭龍社もある。
松本市郊外、里山辺[さとやまべ]にある真言宗の古刹。聖徳太子の開基と伝えられ、境内には松本藩主石川数正夫妻の供養塔がある。寺小屋として利用された時代もあり、山辺学校との関わりも深い。
常楽寺本堂の裏山の杉木立の中に立つ高さ3m近い石造りの塔。その昔、大きな火柱とともに本尊の観音様が現れたという言い伝えがある。軸石四面に刻まれた銘文には弘長2年(1262)に塔を建立し一切経を納めたとある。700年の風雪に耐えてきた苔むす塔は、歴史的にも貴重な存在。周辺には数多くの石塔がまるでこの塔を守るかのように立っている。国の重要文化財に指定されている。
城下町の鎮護の神として、歴代城主にも篤く敬われてきた暦応2年(1339)創建の古社。菅原道真公を祀り、昔から「深き志の天神さま」として親しまれている。美しい朱塗りの入母屋造の拝殿や、優雅な姿の神楽殿が周囲の木々に映え、とても色鮮やか。学問の神様だけに、受験シーズンには合格御守や合格鉛筆を求めに来る参詣者も多い。
主神は真田昌幸と長男の信之父子。さらに江戸時代にこの地を領していた仙石、松平両家の歴代藩主が祭神として奉られている。何万もの徳川の軍勢を数千人で撃退した真田の知恵や勝運にあやかろうと訪れる人も多い。
延喜元年(901)に成立した歴史書『日本三代実録』にも名前が出てくる由緒ある神社。武田信玄がこの塩野神社に土地を寄進することを定めた朱印状(上田市指定文化財)を奉って武運長久を祈ったという。杉林の中に立つ2階建ての拝殿は江戸時代に建立されたもので、拝殿の前にかかっている橋は、太鼓の一部のような曲線を帯びているため「太鼓橋」の名が付いている。
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