
長国寺 表門
長国寺の真田信之公霊屋に備わる表門。宝殿とともに万治3年(1660)に建立された切妻造り柿葺きの四脚門。大棟には真田家の家紋「六連銭」が記され、黒塗りの両開きの扉を持ち趣がある。隣にある信弘の霊屋は県宝に指定されている。
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長国寺の真田信之公霊屋に備わる表門。宝殿とともに万治3年(1660)に建立された切妻造り柿葺きの四脚門。大棟には真田家の家紋「六連銭」が記され、黒塗りの両開きの扉を持ち趣がある。隣にある信弘の霊屋は県宝に指定されている。
佐久間象山が松代での9年の蟄居の後、京都の川べりにかまえた家の一部(茶室)。昭和56年(1981)、象山神社の境内に移築された。東山や八坂の塔が見える眺めのよい家で、その雨に煙る情緒豊かな風情を象山が愛でたといわれる。
有明山山麓に広がる歴史公園。古墳時代のムラを当時のままに再現した園内には、国の史跡に指定されている森将軍塚[もりしょうぐんづか]古墳や古墳の竪穴式石室などを展示する千曲市森将軍塚古墳館、長野県立歴史館などの史跡や施設がある。
松本市郊外の里山辺に残る山辺学校を解体・復元した施設。4年間の耐震工事を終え、平成31年(2019)4月に松本市立博物館分館としてリニューアルオープンした。山辺学校校舎の特徴や教育の様子、山辺地域の暮らしや産業について展示している。校舎は明治18年(1885)に村費と住民の寄附により建てられた木造2階建て。八角塔と玄関を中央に配置して洋風の要素も取り入れながら、なまこ壁や千鳥破風の玄関など伝統的な意匠でまとめられている。旧開智学校の「ギヤマン学校」に対し「障子学校」と呼ばれた。昭和60年(1985)長野県宝指定。
万葉橋のたもとに整備された公園。万葉の時代から現在まで、信濃を詠いあげた27の歌碑が並ぶ。五木ひろしさんの名曲『千曲川』の歌碑は、スイッチを押すと美しい歌声が流れる。ここを起点に文芸の里散策をスタートしてみては。
第2次大戦末期の昭和19年(1944)、本土決戦最後の拠点として大本営、政府各省を松代に移すという極秘の計画のもと、象山、舞鶴山、皆神山の三カ所で碁盤の目状に、全長約10kmの地下濠が掘られた。当時で約2億円の資金と、延べ300万人の労働者を動員したが、全行程の75%まで進んだところで終戦を迎え、工事は中止された。現在は長野市が管理し、その一部500mの区間が見学コースとして整備され、戦争の歴史を語っている。駐車場から地下壕入口まで徒歩7分。
戦国時代の山城・荒砥[あらと]城を再現したもの。受付のある四の郭から頂上の本郭まで、連郭式でつくられている。二の郭には櫓[やぐら]・兵舎があり、兵舎内の映像室では荒砥城の歴史をビデオ上映しているほか、展示室では戦国時代の出土品などを展示している。櫓や本郭からは雄大に流れる千曲川と戸倉上山田温泉街、善光寺平までのすばらしい眺めが楽しめる。
須坂アートパーク内にある施設。武家長屋や明治時代の長屋門が移築・復元されている。
山寺常山は、佐久間象山と同時代に活躍した松代三山の一人。松代城下に残る門としては最大の長屋門形式の表門と書院、川の水を引き入れている池(泉水)をたたえた庭園が見事。庭園は国の登録記念物(名勝)に指定されている。
江戸後期から昭和にかけて建てられた5棟の歴史的建造物を移築・保存。国の重要文化財、旧松本区裁判所庁舎は内外部ともに完全な形で残る貴重な和風裁判所で、法廷や会議室などを見学できる。旧昭和興業製糸場では平成7年(1995)まで稼働していた座繰製糸の機械を見ることができる。このほか『あゝ野麦峠』で知られる野麦街道沿いの工女宿宝来屋(松本市重要文化財)、民主主義の先駆者木下尚江の生家(下級武士の住宅)、旧松本少年刑務所独居舎房など、特色ある建物が見学できる。
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