
真田信之公御霊屋
長国寺の奥にある松代真田家の初代藩主真田信之公の霊屋。信之夫妻の位牌が安置されている宝殿は、桁行3間、梁間4間の撞木屋根の入母屋[いりもや]造で、唐破風[からはふ]や千鳥破風が付いた堂々たるもの。万治3年(1660)の建立で、昭和55年(1980)に解体復元された。宝殿内外には、狩野探幽筆と伝えられている天井画や左甚五郎作と伝えらえる破風の鶴の彫刻など、すばらしい装飾が施されている。
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長国寺の奥にある松代真田家の初代藩主真田信之公の霊屋。信之夫妻の位牌が安置されている宝殿は、桁行3間、梁間4間の撞木屋根の入母屋[いりもや]造で、唐破風[からはふ]や千鳥破風が付いた堂々たるもの。万治3年(1660)の建立で、昭和55年(1980)に解体復元された。宝殿内外には、狩野探幽筆と伝えられている天井画や左甚五郎作と伝えらえる破風の鶴の彫刻など、すばらしい装飾が施されている。
バス停戸隠奥社入口からすぐの鳥居と奥社を結ぶ参道の中ほどにある。茅葺き屋根が時代を感じさせる朱塗りの門で、左右の随身像が参拝者を迎える。車乗り入れ不可。ここからは樹齢400年を超える杉並木が400mほども続く静寂の世界だ。
万葉橋のたもとに整備された公園。万葉の時代から現在まで、信濃を詠いあげた27の歌碑が並ぶ。五木ひろしさんの名曲『千曲川』の歌碑は、スイッチを押すと美しい歌声が流れる。ここを起点に文芸の里散策をスタートしてみては。
須坂アートパーク内にある施設。武家長屋や明治時代の長屋門が移築・復元されている。
「国宝 松本城」の天守。5重6階の天守(国宝)を中心に渡櫓[わたりやぐら](国宝)で乾小天守[いぬいこてんしゅ](国宝)をつなぎ、辰巳附櫓[たつみつけやぐら](国宝)と月見櫓(国宝)を複合した独特の美しい構造。創建当時のまま現存する貴重な天守だ。外壁は白漆喰に黒漆塗りの下見板張りで、窓が少ない。内部に入ると、各階をつなぐ階段は急勾配なうえ、蹴上げが高く、居住性よりもむしろ戦闘への備えがうかがえる。最上階からは、美ヶ原高原や安曇平、北アルプスなどが展望できる。
有明山山麓に広がる歴史公園。古墳時代のムラを当時のままに再現した園内には、国の史跡に指定されている森将軍塚[もりしょうぐんづか]古墳や古墳の竪穴式石室などを展示する千曲市森将軍塚古墳館、長野県立歴史館などの史跡や施設がある。
江戸時代、北国街道の交通・商業の中心として賑わった宿場町。重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。明治以降には宿場時代に使われていた広い部屋を利用し、養蚕・蚕種業の町となった。現在でも江戸時代さながらの風景が見られ、海野宿の歴史を見る事ができる「海野宿資料館」では、かつての暮らしがしのばれる。
下諏訪が中山道の宿場町として栄えていたころ、本陣として栄え、江戸時代には参勤交代の諸大名など身分の高い人を泊めるための旅館として使われていた。1861年(文久元)には皇女和宮[かずのみや]が徳川14代将軍家茂[いえもち]に嫁ぐ途中に宿泊し、その際利用した最奥座敷「玉座の間」が現在も残っている。約2650平方mの敷地には京風の武家屋敷や茶屋、土蔵などが立ち、当時を偲ばせる。また、銘石を配した築庭式石庭園は、中山道随一の名園といわれている。所要30分。
昭和41年(1966)、国の史跡に指定。周辺は遺跡公園として整備され、当時の住居を復元している。『四方眉月文深鉢[しほうまゆづきもんふかばち]』などの出土品は、近くの井戸尻考古館で見ることができる。水生・湿性植物園は古代ハスをはじめ、春から夏にかけて様々な花々に彩られる。
世界的に有名な江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎は、知る人ぞ知る川柳の大家でもあり、渋温泉街には百八十七の句碑が点在している。温泉街を歩きながら北斎の粋な川柳を見てまわることができる。『誹風柳多留[はいふうやなぎだる]』八十五編の巻頭文「序」の御影石も立っている。所要1時間。
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