ダボスの丘
広々とした丘の上には、菅平とスイスのダボス町との姉妹都市提携を記念して立てられたダボスの塔やシュナイダー記念塔がある。4~9月は高原の花々が、10月中旬~11月中旬は紅葉が美しい。
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広々とした丘の上には、菅平とスイスのダボス町との姉妹都市提携を記念して立てられたダボスの塔やシュナイダー記念塔がある。4~9月は高原の花々が、10月中旬~11月中旬は紅葉が美しい。
真田神社裏手にある大井戸。水が絶えたことがなく、上田市街地一番の深さを誇る。城の北方にある太郎山の麓まで抜け穴が通じているとの伝説がある。
大正8年(1919)に設置され、「松高」の名で親しまれた旧制高等学校。自由闊達な校風で、各界で活躍する多くの人材が巣立った。昭和25年(1950)の学制改革で、旧制高校の制度が廃止になるまで5000名余の人材を輩出。唐木順三・臼井吉見・辻邦生・熊井啓・柚木沙弥郎・古田晁も卒業生。北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』には、彼の松高時代が描かれている。本館と講堂は、あがたの森文化会館として市民に利用されており、復元校長室・教室の見学は自由。旧制高等学校記念館が隣接。
上田城跡の本丸東虎口櫓門の北側、石垣に組み込まれた大石で、柱石として据えたもの。松代に移封される時、真田幸村の兄信之が持ち去ろうとしたが、全く動かなかったという。
戦国時代の山城・荒砥[あらと]城を再現したもの。受付のある四の郭から頂上の本郭まで、連郭式でつくられている。二の郭には櫓[やぐら]・兵舎があり、兵舎内の映像室では荒砥城の歴史をビデオ上映しているほか、展示室では戦国時代の出土品などを展示している。櫓や本郭からは雄大に流れる千曲川と戸倉上山田温泉街、善光寺平までのすばらしい眺めが楽しめる。
文久2年(1862)、参勤交代制が緩和されたのに伴い、9代藩主・幸教[ゆきのり]が、江戸から松代へ帰ることになった母・貞松院のために建てた城外御殿。敷地約8000平方m。主屋・冠木門・長屋・土蔵など、大名屋敷の様子を今に伝える貴重な建物で、部屋数は35室にも及ぶ。座観式の池泉庭園は四季折々、訪れる者を楽しませてくれる。
明治9年(1876)、地元大工棟梁の立石清重[たていしせいじゅう]によって建築された。瓦葺きの木造2階建ての建物は、白い漆喰の外壁と唐破風造の玄関の上に八角形の塔屋を載せた擬洋風建築。窓には舶来ガラスをふんだんに使用し、「ギヤマン学校」とよばれた。昭和38年(1963)まで使用された後、現在地に本館を移築。新築当時の姿に復原され、館内では当時の建築資料、教科書などが見られる。見学所要時間40分。
第2次大戦末期の昭和19年(1944)、本土決戦最後の拠点として大本営、政府各省を松代に移すという極秘の計画のもと、象山、舞鶴山、皆神山の三カ所で碁盤の目状に、全長約10kmの地下濠が掘られた。当時で約2億円の資金と、延べ300万人の労働者を動員したが、全行程の75%まで進んだところで終戦を迎え、工事は中止された。現在は長野市が管理し、その一部500mの区間が見学コースとして整備され、戦争の歴史を語っている。駐車場から地下壕入口まで徒歩7分。
江戸後期から昭和にかけて建てられた5棟の歴史的建造物を移築・保存。国の重要文化財、旧松本区裁判所庁舎は内外部ともに完全な形で残る貴重な和風裁判所で、法廷や会議室などを見学できる。旧昭和興業製糸場では平成7年(1995)まで稼働していた座繰製糸の機械を見ることができる。このほか『あゝ野麦峠』で知られる野麦街道沿いの工女宿宝来屋(松本市重要文化財)、民主主義の先駆者木下尚江の生家(下級武士の住宅)、旧松本少年刑務所独居舎房など、特色ある建物が見学できる。
武田信玄と上杉謙信が戦った古戦場跡。公園に隣接する八幡社の境内には二人の一騎討ちを再現した「三太刀七太刀」の碑や銅像などが立つ。
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