ウェストン碑
ウェストン園地にある、上高地を世界に紹介した英国人宣教師で登山家のウォルター・ウェストンの功績を讚えて日本山岳会が立てた碑。ウェストンは明治24年(1891)上高地を訪問、その後、明神池近くに住む上條嘉門次らの山案内で槍ケ岳、奥穂高岳の登頂を果たした。これはスポーツとしての登山の先駆けとなり、日本近代登山の父といわれる。
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ウェストン園地にある、上高地を世界に紹介した英国人宣教師で登山家のウォルター・ウェストンの功績を讚えて日本山岳会が立てた碑。ウェストンは明治24年(1891)上高地を訪問、その後、明神池近くに住む上條嘉門次らの山案内で槍ケ岳、奥穂高岳の登頂を果たした。これはスポーツとしての登山の先駆けとなり、日本近代登山の父といわれる。
江戸時代に小諸宿の本陣と問屋を兼ねていた上田家の旧宅(重要文化財)。旧北国街道沿いに立つ桟瓦葺[さんがわらぶき]、総二階建の建物で、18世紀末から19世紀初めの貴重な建築物。大名駕籠の入口だった表門などが格の高さをうかがわせる。ただし非公開のため、外観を眺めることしかできない。
八ケ岳西麓にある尖石遺跡(特別史跡)は、約5000年前の縄文中期を代表するもの。一帯では200以上の住居跡や多数の土器が発見され、かつてこの地に集落が形成されていたことがわかる。隣接する茅野市尖石縄文考古館では、棚畑遺跡出土の国宝「土偶」(縄文のビーナス)や中ッ原遺跡出土の国宝「土偶」(仮面の女神)などを展示している。所要40分。
一茶が中風のために65歳で亡くなるまでの半年近くを過ごした土蔵。柏原の大火で焼け出された一茶は、間口3間半、奥行2間2尺の質素な土蔵で生涯を閉じた。国の史跡に指定されている。近くにある明専寺[みょうせんじ]は一茶の菩提寺で、毎年11月19日の一茶忌には法要が行われる。
青木湖北西岸の千国街道沿いに点在する観音石仏。江戸末期に佐野坂[さのさか]の庄屋が高遠の石工に彫らせたもので、雪深い佐野坂越えの旅人の安全を祈り、道しるべとして建てられた。現在、佐野坂には車道が通っているが、青木湖のエビスマ原まで樹木の根元に点々と観音像が佇んでいる。
成田山山門前でにっこりとほほえむお地蔵さま。長寿地蔵尊として有名で、健康長寿にあやかろうと県内外から参拝客が訪れるほどの人気ぶり。毎月第2土曜には、参道で山門市も開催される。
大手門は慶長17年(1612)、藩主・仙石越前守秀久が小諸城を築いた時代の建築で、当時としては瓦葦の門は珍しかったため、瓦門と呼ばれていたと伝えられる。実戦的な城門で、華美な装飾をはぶいた質実剛健な建設は、東日本を代表する大手門建築のひとつで、日本の城門発展の過程を知る重要な建物として青森県の弘前城とともに大手門の双壁といわれている。
宿場町として栄えた追分宿。その当時の面影を色濃く残しているのは、分去れ[わかされ]の手前にある枡形の茶屋。ここは表の2階壁面に枡の形と「つがるや」の屋号を漆喰塗りで浮きだたせ、2階を前に突き出した出桁造りになっている。当時の追分の風情を今に伝える、数少ない建造物の一つ。
作家の室生犀星は、大正9年(1920)に初めて軽井沢を訪れて以来、その魅力に惹かれ、亡くなる前年までの40数年間、毎夏をここで過ごした。この別荘は昭和6年(1931)に建てられた和風の平屋で、庭は犀星自らが築いたという。木立の中にひっそりたたずむ旧宅は、文学者が好んだ在りし日の軽井沢を今も伝えている。
小諸在住時代の島崎藤村の住宅を貞祥寺境内に移築したもの。茅葺き屋根の邸宅は8畳の書斎と居間、和室2室からなり、開館時間内は室内を見学できる。
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