
秋山郷保存民家
江戸時代中期に建てられた、福原家の総本家を保存民家として一般公開している。日本有数の豪雪地帯である秋山郷の典型的な茅葺き屋根の家で、合掌造りの流れをくむ中門造りという特徴的な様式をもつ。建物内の見学も自由で、鈴木牧之[すずきぼくし]が訪れた頃の地図など、秋山郷の歴史資料を展示している。
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江戸時代中期に建てられた、福原家の総本家を保存民家として一般公開している。日本有数の豪雪地帯である秋山郷の典型的な茅葺き屋根の家で、合掌造りの流れをくむ中門造りという特徴的な様式をもつ。建物内の見学も自由で、鈴木牧之[すずきぼくし]が訪れた頃の地図など、秋山郷の歴史資料を展示している。
江戸時代初期の庄屋で松本藩主も逗留した屋敷。重厚な土塀に300年の歴史を刻む本棟造りで、書院と庭園など家屋の一部が見学できる。庭池は「心」の文字を表わし、天和~貞享年間(1681~1688)の作庭。日本画家、山口蒼輪[やまぐちそうりん]の生家でもある。
「春は名のみの風の寒さや」で始まる春を待ちわびる早春賦の歌。大正初期に作詞・吉丸一昌、作曲・中田章により発表された。北アルプスを望む絶好の場所に大きな歌碑が立つ。
青木湖北西岸の千国街道沿いに点在する観音石仏。江戸末期に佐野坂[さのさか]の庄屋が高遠の石工に彫らせたもので、雪深い佐野坂越えの旅人の安全を祈り、道しるべとして建てられた。現在、佐野坂には車道が通っているが、青木湖のエビスマ原まで樹木の根元に点々と観音像が佇んでいる。
江戸時代、宿場の人々に法令を広めるため、幕府から通達される法度や掟書を掲げた場所。古文書をもとに昭和58年(1983)に復元された。掲げられている高札の本物は追分宿郷土館に収蔵されている。
京都へ向かう中山道と、越後へ通じる北国街道の分岐点。旅人同士が、ここで別れを惜しみ、涙とともに袂[たもと]を分けて旅を続けたといわれるのが、名の由来だ。道標のそばには、石の常夜燈などが、当時のままに立っている。石碑には、「さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを追分の宿」の歌が刻まれている。これは、江戸から来た場合、右へ行けば月の名所更科から善光寺を越えて越後路へ。左に進めば、木曽路から東海道を通り、桜の名所吉野へと道が続いていることを示している。
分去れの碑から旧北国[ほっこく]街道に入りすぐ右手にある。名探偵シャーロック・ホームズは、イギリスの小説家アーサー・コナン・ドイルの小説の主人公。この像は、翻訳家・延原謙[のぶはらけん]が追分油屋旅館の離れを仕事場に、『シャーロック・ホームズ』シリーズの翻訳を手がけたことから、ホームズ生誕100周年を記念して昭和63年(1988)に作られた。パイプをくわえ、難事件を次々と解決してきた小説のヒーローが、追分の地にたたずんでいる。
作家の室生犀星は、大正9年(1920)に初めて軽井沢を訪れて以来、その魅力に惹かれ、亡くなる前年までの40数年間、毎夏をここで過ごした。この別荘は昭和6年(1931)に建てられた和風の平屋で、庭は犀星自らが築いたという。木立の中にひっそりたたずむ旧宅は、文学者が好んだ在りし日の軽井沢を今も伝えている。
宿場町として栄えた追分宿。その当時の面影を色濃く残しているのは、分去れ[わかされ]の手前にある枡形の茶屋。ここは表の2階壁面に枡の形と「つがるや」の屋号を漆喰塗りで浮きだたせ、2階を前に突き出した出桁造りになっている。当時の追分の風情を今に伝える、数少ない建造物の一つ。
六本辻近くの軽井沢霊園の一角にある外人墓地。ここには宣教師をはじめ、軽井沢で没した外国人が静かに眠る。石や木の十字架が立ち並ぶ様子は異国情緒あふれ、たくさんの外国人に愛された軽井沢の歴史がしのばれる。
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