
典厩寺
永禄4年(1561)川中島合戦で戦死した武田信玄の弟、典厩信繁[てんきゅうのぶしげ]と両軍の戦死者を弔った寺院。境内には典厩の墓や日本一大きな閻魔[えんま]大王など、戦死した武者たちの功績を偲ぶ史跡が多い。川中島合戦記念館の展示物も、合戦で使用された典厩の兜・太刀・鉄扇・戦況地図など貴重。庭園の枝垂桜は大木が多く閑雅清浄で、春に訪れてみたくなる。なお、真田信繁(幸村)の供養塔も典厩の墓の左側に祀られている。
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永禄4年(1561)川中島合戦で戦死した武田信玄の弟、典厩信繁[てんきゅうのぶしげ]と両軍の戦死者を弔った寺院。境内には典厩の墓や日本一大きな閻魔[えんま]大王など、戦死した武者たちの功績を偲ぶ史跡が多い。川中島合戦記念館の展示物も、合戦で使用された典厩の兜・太刀・鉄扇・戦況地図など貴重。庭園の枝垂桜は大木が多く閑雅清浄で、春に訪れてみたくなる。なお、真田信繁(幸村)の供養塔も典厩の墓の左側に祀られている。
松代藩士・佐久間象山は幼いときより学問に秀で、江戸への遊学を認められ佐藤一斎に師事。後に江戸で私塾を開き、多くの優秀な門弟を育てた。天保13年(1842)、8代藩主・真田幸貫が幕府の海防掛に任命されたのを機に西洋事情の研究を行い、開国論を主張。元治元年(1864)、幕府の命で京都に上り、その年の7月攘夷派の手により暗殺された。記念館には、彼の遺墨・遺品を中心に幅広い象山の業績を展示している。
明治19年(1886)から昭和25年(1950)の制度廃止まで、全国に41校あった旧制高等学校に関する当時の資料や写真パネルを展示・解説している。制服や校章、松本高等学校の「思誠寮」再現コーナーや校舎を含む敷地模型など見どころも多い。隣接する松本高等学校の本館は大正9年(1920)建築の国指定重要文化財で、無料で見学が可能。復元した校長室・普通教室があり、当時の情景を感じられる。講堂も国指定重要文化財。所要1時間。
旧松本高等学校跡を利用した公園。大正8年(1919)に植えられたヒマラヤ杉の並木と池を中心とした日本庭園が魅力。大正時代の木造洋風建築の校舎は「あがたの森文化会館」として保存・活用されている。駅前から東に延びるあがたの森通りを進むと、ヒマラヤ杉に包まれた淡いブルーの校舎が立つ公園に突き当たる。
明治から昭和期に活躍した俳人・高濱虚子の市立記念館。昭和19年(1944)から3年余にわたる小諸疎開時の業績を、作品や資料を通して紹介する。隣接している旧宅虚子庵も併せて見学したい。
茅野市出身の彫刻家、矢崎虎夫の作品を収蔵する美術館。彫像の素材はブロンズや木、樹脂などで大胆かつ力強い作風が特徴。代表作の『雲水群像』[うんすいぐんぞう]や『托鉢』をはじめ、初期から晩年までの彫刻や水墨画を展示している。所要30分。
筑摩[ちくま]書房の創立者・古田晁の功績をたたえた資料館。生家の土蔵を改修した館内には、親交のあった川端康成の書簡、太宰治の掛け軸など約90点を展示。2階には宮本百合子らが執筆に励んだ部屋が保存されている。所要30分。
諏訪市で生まれ、大正~昭和に活躍したプロレタリア作家、平林たい子の記念館。館内には執筆をした居間が再現され、書簡などの遺品約100点や著書を展示している。代表作は『かういう女』や『砂漠の花』など。見学の際は1週間前までに、諏訪市生涯学習課まで要予約。
懐古園内にある。明治32年(1899)に恩師・木村熊二[きむらくまじ]に小諸義塾の教師として招かれ、以来小諸で7年間を過ごした島崎藤村。小諸滞在中に『水彩画家』『雲』『落梅集[らくばいしゅう]』『藁草履[わらぞうり]』など数々の作品を発表した。館内では藤村の小諸時代を中心とした著作や原稿、書簡などが展示され、英訳の『千曲川旅情のうた』など珍しい資料も見られる。建物は、建築家・谷口吉郎[たにぐちよしろう]の設計。所要30分。
下諏訪町立諏訪湖博物館・赤彦記念館では、諏訪湖と共に暮らしてきた人々の生活の様子と周辺の遺跡から出土した土器・石器などを紹介する諏訪湖展示室、諏訪を代表するアララギ派の歌人・島木赤彦の生涯とその業績を紹介する赤彦展示室の2つの常設展示を行っている。また、当館の諏訪湖の「水平虹」と「まるた舟」をイメージした建物は、下諏訪町ゆかりの世界的建築家伊東豊雄氏の設計によるもの。
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