
熊野皇大神社
碓氷峠の頂上にあり、本宮社殿が県境にあるユニークな神社。そのため、長野では熊野皇大神社、群馬では熊野神社と違った名前を持ち、御祈祷・お守り・参拝所や社務所も別になっている。樹齢1000年という御神木のしなの木のほか、室町時代中期建立と伝わる県内最古の狛犬などもある。
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碓氷峠の頂上にあり、本宮社殿が県境にあるユニークな神社。そのため、長野では熊野皇大神社、群馬では熊野神社と違った名前を持ち、御祈祷・お守り・参拝所や社務所も別になっている。樹齢1000年という御神木のしなの木のほか、室町時代中期建立と伝わる県内最古の狛犬などもある。
追分宿の西側にあり、約400年の歴史をもつ曹洞宗の古寺。堀辰雄が毎日のように散策に訪れたことでも知られる。山門の手前より左の小道を浅間山に向かって歩くと、木々に覆われた墓地に出る。この小道は堀辰雄や立原道造が散策路としていた道で、右側には堀が愛した石仏の如意輪観音像[にょいりんかんのんぞう]がある。首をかしげ、左手を頬にあてていることから「歯痛[はいた]地蔵」ともよばれている。ほかにも境内には書家稲垣黄鶴の句碑やカーリング地蔵尊などユニークなお地蔵さんがある。
伊那路と木曽路を結ぶ権兵衛峠の麓にあり、「馬の観音様」として親しまれてきた古刹。平安時代、天台宗の高僧・慈覚[じかく]大師が霊夢に諭され比叡山[ひえいざん]からこの地へ赴[おもむ]いた際に、経ケ岳山中で霊木を見つけ、十一面観音菩薩像を刻み安置したのが開基の由来という。この観音菩薩像は60年に一度開帳され、次回は2032年になる。
杖突[つえつき]街道への入口に立つ日蓮宗の寺。本堂の裏側には大奥で権勢を振るった絵島の墓標が静かに佇み、田山花袋や斉藤茂吉などの文人達がこの墓の歌を詠んだことで知られている。境内には昭和15年(1940)の絵島没後二百年忌に、絵島の生涯を偲んだ歌人・今井邦子の「向う谷に陽かけるはやしこの山に絵島はいきの心堪えにし」の歌碑がある。宝物館(要予約)には、絵島の遺品や検死問答書などを収蔵。シャクヤク・ボタンの花所としても有名だ。
木立の中に佇む軽井沢の歴史ある教会は大正時代、北原白秋や島崎藤村ら多くの文化・著名人が集った「芸術自由教育講習会」を原点に持つ由緒ある場所。当時の開かれた教会の精神は今も受け継がれ、毎週日曜13時30分~のゴスペル礼拝や8月と12月に季節を通じて行われるイベントはだれでも参加できる。
数多い軽井沢の教会の中でも唯一ログ造りの教会。素朴で温かみのある外観が印象的だ。雄大な浅間山を望む展望地に立ち、建物の周囲には木立が茂る緑地が広がる。隣接の子羊ハウスでは、入場無料でクラシックなどのチャリティーコンサートを年に3回開催し、救援活動に協力している。また結婚式にも人気の教会で、信者ではなくても本物の教会の式が挙げられる。しかし、礼拝(水・日曜10時~)を重んじるため、式は1日2組限定。
旧中山道の宿場町として栄えた岩村田。歴史に育まれたこの町にある寺。武田信玄が信濃路に出兵する際に、必ず戦勝祈願に詣でたといわれる。昭和6年(1931)には、信玄のものと推測される遺骨が発掘され、現在その遺骨は、本堂横にある信玄公霊廟に眠っている。
杉・欅の大木に囲まれた佐久平を代表する古刹。大永元年(1521)、前山城主伴野貞祥公が祖父・光利と父・光信の追善のために開基し、叔父の節香徳忠禅師を武蔵国(埼玉県)の慶徳寺から招聘し開山とした。曹洞宗地方寺院の伽藍配置を典型的に示す、七堂伽藍を整えた寺院で、禅道場として海外にも知られている。境内には島崎藤村の旧宅があり、当山ゆかりの文学碑などがある。三重塔・山門・惣門は県宝。また本堂は江戸中期のもの。
仲仙寺本堂の外陣に掲げられている巨大な絵馬。日本有数の「千匹馬」の絵馬には桜の下や山川野原で自由に戯れる馬の楽園が描かれている。このほかにも幾枚もの大きな絵馬がある。
山懐にたたずむ古刹で、170段の石段を上った場所に本堂が立つ。緑と水があふれる広々した公園には四季折々の花が咲き、特に5月中旬のツツジの大群は見事だ。
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