
八幡神社
八幡宿の名の由来となった歴史ある古社。境内には国指定重要文化財である旧本殿の高良社[こうらしゃ]をはじめ、本殿、拝殿、端籬門[みずがきもん]、随身門があり、額殿には県下最古の算額も見られる。
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八幡宿の名の由来となった歴史ある古社。境内には国指定重要文化財である旧本殿の高良社[こうらしゃ]をはじめ、本殿、拝殿、端籬門[みずがきもん]、随身門があり、額殿には県下最古の算額も見られる。
松原湖の東岸に位置する古社。創立は奈良時代から鎌倉時代(710~1333年の間)と言われている。境内には、武田信玄が寄贈した野ざらしの鐘が安置されている。その昔、信玄が信濃攻めの戦利品として獲得した梵鐘で、屋内に置くと火事がおきると伝えられている。長い間野ざらしだったが現在は保存のため、屋根の下に置かれている。上社から徒歩10分、湖の北岸には下社がある。また毎年7~8月には、松原湖周辺にある7カ所の神社を巡るスタンプラリーが開催され、5個以上スタンプを集めると小さなお土産がもらえる。スタンプ帳200円は、観光案内所で購入可。
木曽氏と山村氏の菩提[ぼだい]寺で、木曽三大寺の一つ。永享6年(1434)に、木曽家12代信道[のぶみち]が、先祖である木曽義仲[よしなか]のために建てた寺。平安末期の古代様式を見せる勅使[ちょくし]門、奥正面には観音堂と木曽檜造りの本堂がある。観音堂脇には義仲が植えた2代目の時雨[しぐれ]桜があり、毎年4月の中旬が花の見頃。また、境内左手には4つの庭園と、江戸時代の漆器などが展示された宝物殿がある。
境内の薬師堂は、徳治3年(1308)の刻銘をもつ銅製の鰐口[わにぐち](正殿の軒下に吊るして鳴らす銅製の音響具)があることから鎌倉時代のものとされる。堂内にある木曽最大といわれる薬師如来座像と、日光菩薩、月光菩薩の立像は、希望があれば拝観可能。薬師堂は、平成22年(2010)、創建当時の姿に復元する事が行われ再建されている。薬師堂と鰐口は共に県宝に指定されている。
町並みを見下ろす高台にある、臨済宗の古刹。開山は明応9年(1500)。享保10年(1725)、林家によって建立された本堂は、うぐいす張りの廊下や山岡鉄舟の扁額、尾張徳川家の籠などがある。本堂横の庫裏[くり]には、天保年間に住職によって考案された車付きの籠を収蔵。入口石段下の祠に、女性を救うと伝えられる延命地蔵が祭られている。4月の祭礼が近づくと昼夜の気温差で石が夜露に濡れることから、汗かき地蔵の別名がある。本尊薬師如来は、慶長4年(1599)京の仏師・木山によるもの。中部49薬師第21番札所。
元善光寺本堂の地下の真っ暗な回廊を歩く、仏様の体内巡りともいわれる。中央付近では極楽往生開運の錠前にふれることもできる。
治承4年(1180)に以仁王[もちひとおう]の令旨[りょうじ]を受けた義仲が、ここで平家追討の旗挙げと戦勝祈願を行ったことから名前がついた。武家の守護神として知られる京都の石清水八幡宮を勧請し、義仲が館を構えたこの地に祭ったのが建立の由来とされる。義仲の元服の儀式もこの境内で行われ、その際に植樹したとされる拝殿脇の大きなケヤキは、義仲元服ケヤキとよばれている。
天保10年(1582)の創建と伝わっている古刹。境内には、隠れキリシタンとの関わりが深いと推察される「マリア地蔵尊」がある。本堂裏の得地円は、遠州流の名園といわれる庭園もあり、この地に刻まれてきた歴史・文化の奥深さを物語る。
天竜川を見下ろす高台に建つ禅寺。創建は鎌倉時代までさかのぼるが、現在残っている方丈[ほうじょう]、庫裏[くり]、鐘楼門などは江戸中期、黒門は室町期に造られた。庭園が有名で、特に5月の連休前後に咲き乱れるシャクナゲ(京丸シャクナゲ)の花が見事。200年以上前から繁殖を続ける天然の群落を、代々の住職が守ってきたもので、シャクナゲ寺ともよばれている。
長野市の善光寺の本尊が元はこの寺にあったことから元善光寺の名で呼ばれ、両方をお詣りして両詣りといわれる由縁から善光寺と併せて参拝する人が多い。宝物殿にある御本尊を安置した際に光ったとされる臼は一見の価値がある。
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