
光徳寺 本堂
享保10年(1725)に脇本陣の林家が光徳寺内に建立。中にはウグイス張りの廊下、山岡鉄舟[やまおかてっしゅう]の書、尾張徳川家の駕籠[かご]などがある。なかでも必見は、本堂横の庫裏に吊るされた車付きのユニークな駕籠。天保年間(1830~44)に遂応[すいおう]和尚が考案した人力車の原型と言われ、町の文化財になっている。
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享保10年(1725)に脇本陣の林家が光徳寺内に建立。中にはウグイス張りの廊下、山岡鉄舟[やまおかてっしゅう]の書、尾張徳川家の駕籠[かご]などがある。なかでも必見は、本堂横の庫裏に吊るされた車付きのユニークな駕籠。天保年間(1830~44)に遂応[すいおう]和尚が考案した人力車の原型と言われ、町の文化財になっている。
創建430年を超える浄土宗の古刹。中央アルプスの麓の開かれた寺院として親しまれている。元亀2年(1511)現在地に草庵が結ばれ、その後慶長2年(1597)開山、充誉[じゅうよ]上人により、本堂、山門、庫裏が創建された。平成20年(2008)、本堂、鐘楼を新改築落慶。
国道19号のすぐ近く、寝覚の床を見下ろすように立つ臨済宗妙心寺派の寺。浦島太郎が年老いた自分の姿をなげいて旅立ってしまったが、後に残されていた弁財天の像を祭ったのが開基の由来という。境内には松尾芭蕉、正岡子規、種田山頭火の句碑、姿見の池、宝物館などがあり、奥の降り口から寝覚の床への近道が通じている。宝物館には浦島太郎が置き忘れたという愛用の釣竿[つりざお]や硯などを展示。
室町時代初期に創建された、木曽福島の興禅寺[こうぜんじ]、長福寺[ちょうふくじ]と並ぶ木曽三大寺の最古刹。永享2年(1430)に建てられたが木曽川の氾濫で流失し、慶長3年(1598)に現在地に再興された。現在ある本堂、庫裡[くり]、山門は当時の建物で、昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定。本堂内にはウグイス張りの廊下が残され、木曽檜造りの大きな座像「定勝だるま」があることから木曽七福神布袋尊霊場としても知られている。鶴亀蓬莱庭園や山門そばのシダレザクラも見事。
本堂や、十王堂、鐘楼門[しょうろうもん]などが立ち並ぶ臨済宗妙心寺派の古刹。約700年前の創建といわれるが、火災で焼失後、享保11年(1726)に再建された。庭園は手入れが行き届き、四季折々の草花が彩りを添えている。本堂は平成30年(2018)に老朽化の為再建された。
光前寺にあり、方一間入母屋造[ほういっけんいりもやづくり]で、室町期の様式をうかがえる古建築。中に納められた宝形造[ほうぎょうづくり]の厨子とともに国の重要文化財に指定されている。
350年前に創建されたとされる曹洞宗の寺。南木曽町では円空によって彫られた仏像が6体見つかっているが、うち3体がこの寺に納められている。境内左手の円空堂には、貞享3年(1686)に制作された記録が残る弁財天十五童子像と天神像、庫裏の玄関脇に全長48cmの韋駄天像[いだてんぞう]があり、いずれも南木曽町の有形文化財。
境内に檜やスギの天然木が繁る。石垣の覆屋[おおいや]の中には建武元年(1334)の棟札が残る間口1mほどの熊野、伊豆、白山、蔵王の4つの社殿(重要文化財)が並ぶ(拝観は要連絡)。いずれも一間社流造檜皮葺き[いっけんしゃながれづくりひわだぶき]の屋根が特徴的な長野県最古の鎌倉建築とされる。永享11年(1439)の銘のある鰐口も残され、木曽谷の文化の中心だったことがうかがえる。
水源となる盛平山頂付近に霊場があることから名付けられ、戦国から江戸時代にこの地を治めてきた遠山氏一族の菩提寺・龍淵寺境内に湧く霊水。平成の名水百選の一つにも選ばれ、約500年前から一度も涸れたことがない。やや硬水の霊水はミネラル豊富でまろやか、便秘解消やダイエットにも効果的とか。
古い町並みが残る上松宿[あげまつじゅく]から山手に少し入ったところにあり、木曽家16代目・義元[よしもと]の二男玉林の創建と伝えられる寺。大火による焼失を免れた黒松の大木と山門が美しい調和を見せ、天神堂横の枝垂桜は毎年美しい花をつける。
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