湯沢神社
本殿は明和2年(1765)創建と伝わる神社。境内は老杉の木立に囲まれ、100段あまりの急な石段をのぼった先に、向拝の見事な彫刻が目を引く本殿が佇む。松尾芭蕉の句碑もみどころ。
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本殿は明和2年(1765)創建と伝わる神社。境内は老杉の木立に囲まれ、100段あまりの急な石段をのぼった先に、向拝の見事な彫刻が目を引く本殿が佇む。松尾芭蕉の句碑もみどころ。
本堂大間21畳の天井いっぱいに描かれた極彩色の『八方睨み鳳凰図』は、葛飾北斎晩年の大作。孔雀石、鶏冠石など高価な鉱石をふんだんに使った絵の具で描かれた鳳凰図は、170余年の年月がたったとは思えないほど鮮やか。本堂裏庭には蛙合戦の池があり、桜の咲くころヒキガエルが産卵に集まる。文化13年(1816)、この寺を訪れた小林一茶もこの蛙合戦を見て、「やせ蛙まけるな一茶これにあり」の句を詠んだといわれている。また裏山には、福島正則の霊廟も奉られている。
曹洞宗の寺院。山門前に朱塗りの安曇野仁王様の大下駄があり「仁王様の下駄を履けば願い事が叶う」と伝えられている。本堂下で御戒壇めぐりができる。
醍醐天皇の延長5年(927)に選定された延喜式の神名帳に登場する古社。本殿・拝殿が立つ境内は深閑とした杉木立に囲まれ、荘厳な雰囲気が漂う。祭神は古代北九州で栄え、7世紀ころ安曇野に移り住んだといわれる安曇族の祖神の穂高見命[ほたかみのみこと]。9月27日の御船[おふね]祭には、穂高人形を飾った船形の山車「御船」が曳き回され、2艘の御船がぶつかりあう。隣接の御船会館には実物大の御船を展示。奥宮は上高地明神池湖畔に、嶺宮は奥穂高岳山頂にある。
平安時代に開山された天台宗別格本山。武田・羽柴・徳川家などに保護された古刹で、現在も10余棟の堂塔が残る。約6.7haの境内全域は「光前寺庭園」として国の名勝に指定。4月のシダレザクラ(枝垂れ桜)、6月のツツジや秋の紅葉が見事だ。参道脇の石垣は珍しいヒカリゴケの自生地になっている。霊犬・早太郎[はやたろう]の伝説でも知られ、本堂には木像が、境内には墓と石像がある。
伊那路と木曽路を結ぶ権兵衛峠の麓にあり、「馬の観音様」として親しまれてきた古刹。平安時代、天台宗の高僧・慈覚[じかく]大師が霊夢に諭され比叡山[ひえいざん]からこの地へ赴[おもむ]いた際に、経ケ岳山中で霊木を見つけ、十一面観音菩薩像を刻み安置したのが開基の由来という。この観音菩薩像は60年に一度開帳され、次回は2032年になる。
杖突[つえつき]街道への入口に立つ日蓮宗の寺。本堂の裏側には大奥で権勢を振るった絵島の墓標が静かに佇み、田山花袋や斉藤茂吉などの文人達がこの墓の歌を詠んだことで知られている。境内には昭和15年(1940)の絵島没後二百年忌に、絵島の生涯を偲んだ歌人・今井邦子の「向う谷に陽かけるはやしこの山に絵島はいきの心堪えにし」の歌碑がある。宝物館(要予約)には、絵島の遺品や検死問答書などを収蔵。シャクヤク・ボタンの花所としても有名だ。
元善光寺本堂の地下の真っ暗な回廊を歩く、仏様の体内巡りともいわれる。中央付近では極楽往生開運の錠前にふれることもできる。
元善光寺にあり、約41年間本尊の台座となっていたという座光の臼を筆頭に約80点程の仏像仏画等を展示。
長野市の善光寺の本尊が元はこの寺にあったことから元善光寺の名で呼ばれ、両方をお詣りして両詣りといわれる由縁から善光寺と併せて参拝する人が多い。宝物殿にある御本尊を安置した際に光ったとされる臼は一見の価値がある。
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