
木戸口神社
横谷渓谷入口にある、諏訪大社の小宮の一社。7年に1度の諏訪大社の御柱祭(大祭)と同じ年に、この小宮でも御柱祭が執り行われる。小規模ではあるが、蓼科高原に長持ちや花笠行列なども繰り出し華やかな雰囲気。地元の人たちだけでなく、誰もが参加できる祭りとして観光客などにも門戸を開いている。
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横谷渓谷入口にある、諏訪大社の小宮の一社。7年に1度の諏訪大社の御柱祭(大祭)と同じ年に、この小宮でも御柱祭が執り行われる。小規模ではあるが、蓼科高原に長持ちや花笠行列なども繰り出し華やかな雰囲気。地元の人たちだけでなく、誰もが参加できる祭りとして観光客などにも門戸を開いている。
善光寺の本尊・一光三尊阿弥陀如来は、欽明13年(552)仏教伝来の折に百済国の聖明王[せいめいおう]から献上された仏といわれる。蘇我氏と物部氏の争いの折、排仏派の物部尾輿[おこし]により難波堀江に捨てられたが、皇極元年(642)信濃国の本田善光[よしみつ]が現在の地に安置したと伝わり、それが寺名の由来となった。本尊は戦国時代に武田信玄や織田信長、豊臣秀吉、徳川家康により日本各地を転々し、ようやく慶長3年(1598)に善光寺へ戻された。創建直後から秘仏となり、数え年で7年に1度の盛儀「善光寺御開帳」の際にも本尊ではなく、分身である前立本尊(重要文化財)が開扉される。
坂上田村麻呂[さかのうえたむらまろ]が奥州侵攻の際に建立したと伝えられる。本尊の木造千手観音菩薩立像(重要文化財)、木造聖観音菩薩立像(重要文化財)、木造地蔵菩薩立像(重要文化財)は、平安時代初期(9世紀)の彫像で、一木造の木造彫刻の中では、県内最古とされるもの。国の重要文化財に指定されている。
戸隠神社は、戸隠山の麓にある奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社五社の総称。天照大神の天の岩戸開き神話にゆかりの神々を中心に祀る。
女鳥羽山麓を背景に、浅間温泉と美ヶ原温泉の中間にある浄土宗の寺。寛文9年(1669)に、松本城主・水野家三代の忠直が廟所を造営して以来、水野家の菩提寺として栄えた。境内の庭園では5月上旬に1350余株ものボタンが咲く。5月第2土・日曜に玄向寺ぼたん祭・雅楽演奏会を開催。文政11年(1828)に槍ヶ岳を開山した播隆上人[ばんりゅうしょうにん]は、玄向寺を準備基地としたことからその遺品などが残されている。参道には昭和4年(1929)に立てられた播隆上人像がある。英語通訳あり。
平安時代から鎌倉時代にこの地を治めた海野氏の氏神で、海野宿の鎮守でもある。境内には樹齢700年の大ケヤキがそびえ、地元出身の名力士・雷電を記念した土俵も。毎年4月の第2日曜日には例祭、11月第1日曜日には新嘗祭が行われ、いっそうの賑わいをみせる。
諏訪大社下社春宮の近くに鎮座する石仏。胴石に万治3年(1660)の銘がある。伝承では春宮の鳥居を造る際、この石にノミを入れたところ血が流れ出し、驚いた石工が霊の宿る石として阿弥陀如来を祭ったという。高さ2mの自然石の上に小さな頭がのった石仏で、画家の岡本太郎が「こんなにおもしろいものは見たことがない」と話したことから観光客が訪れるようになった。
乙事諏訪神社の社殿は、諏訪大社上社本宮の弊拝殿を移築したもので、本殿を設けず磐座を神の憑代とする諏訪神社造りともいわれる特有の形式・配置をよく伝えていることと、構造手法及び彫刻・錺金具などに中世末期を示す特質が認められ、昭和5年(1930)に国宝に指定された。現在は、昭和23年(1948)の火災による復元修復と文化財保護法の制定により重要文化財に指定されている。
下諏訪町にある、諏訪大社の小宮の一社。7年に1度の諏訪大社の御柱祭(大祭)と同じ年に、この小宮でも御柱祭が執り行われる。
諏訪大社下社秋宮にある。立川和四郎富棟の代表作といわれ、見事な彫刻が施されている。安永10年(1781)に建築されたもの。その両側に左右片拝殿があり、御柱はこれら社殿を囲むように立つ。
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