
木之本地蔵院
古くから眼の仏として信仰を集める寺。寺には眼を患った人の身代わりに片目を閉じたカエルが棲むといわれ、境内のいたるところに「身代わり蛙」というカエルのお守りが奉納されている。境内の大地蔵は本尊の地蔵菩薩(秘仏)を写したもの。
- 「木ノ本駅」から徒歩7分
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古くから眼の仏として信仰を集める寺。寺には眼を患った人の身代わりに片目を閉じたカエルが棲むといわれ、境内のいたるところに「身代わり蛙」というカエルのお守りが奉納されている。境内の大地蔵は本尊の地蔵菩薩(秘仏)を写したもの。
琵琶湖の湖上に立つ朱塗りの大鳥居が目印。猿田彦命[さるたひこのみこと]を祀り、長寿や縁結びの神様として信仰を集め、その歴史は2000年以上と伝えられる。国道161号を挟んで鳥居と向かいあう本殿(重要文化財)は、豊臣秀頼と淀君の寄進を受け、慶長8年(1603)に再建されたもの。境内には絵馬殿、若宮社、外宮、内宮などが立ち並んでいる。
天智天皇の勅願により創建された寺。藤原鎌足の長男、定恵[じょうえ]が中国から桑を持ち帰り、日本で最初に養蚕を始めたのが寺名の由来という。500段ほどの石段を登ると、目の前に本堂が現れる。室町初期に建立された檜皮葺きの本堂(重要文化財)には本尊薬師如来や毘沙門天、不動明王などが安置されている。
固く結んだふくよかな唇に、わずかに朱が残っている愛らしい姿の十一面観音立像(重要文化財)を本尊として安置している。作家・井上靖が、小説『星と祭』の中で観音像の姿を村の若い娘にたとえたことで有名。
「馬の寺」とも呼ばれる古刹。聖徳太子が松に馬をつないで山へ登り、戻ってみると馬が池に沈み石になっていたという伝説に由来する。境内には本堂や大佛宝殿などが立ち、大佛宝殿には役行者腰掛像、十一面観音菩薩立像や大威徳明王牛上像など重要文化財が11躰安置されている。
約1400年前に創建された神社で、古くから「勝利と幸福を授ける神様」として信仰される。山全体が神域になっており、神様を守護する天狗が住んでいるという伝説も残されている。本殿前には夫婦岩と呼ばれる大きな岩があり、その隙間を通り抜けて神様にお参りする。この夫婦岩には「思いを込めて通れば願いが叶う。しかし、悪い心を持っていると岩に挟まれてしまう」という言い伝えがあり、近年はパワースポットとしても知られている。また、参集殿では自分だけのお守りを手作りする「おまもりづくり体験」もできる。
聖徳太子が百済人のために近江の仏教拠点として創建したと伝わる近江の最古級寺院で、湖東三山の一つ。近江西国・神仏霊場・百寺巡礼などの札所でもある。本尊「植木観音」は、韓国龍雲寺本尊と同木二体であったと伝わる。1000余の僧坊を構える壮大な寺院だったが、織田信長の焼討で壊滅。江戸時代初期に本堂、仁王門、山門などが再建された。国史跡の83haの広大な境内地は数万本の緑の樹木で覆われ、四季を通じ美しい。特にその秋景は「日本紅葉百選」にも選ばれ、寺社庭園として滋賀県下最大級の「天下遠望の名園」は見事。
承和元年(834)、仁明天皇の勅願により開創された天台宗の古刹。琵琶湖東方に位置し、金剛輪寺、百済寺とともに「湖東三山」とされる紅葉の名所。室町時代初期建立の二天門(国指定重要文化財)を入ると、鎌倉時代建立の本尊薬師如来像(国指定重要文化財)や十二神将を安置する本堂(国宝)と総檜造りの三重塔(国宝)が立つ。江戸時代初期作庭の池泉観賞式庭園の蓬莱庭(国指定名勝)や、秋・冬・春と咲き続ける樹齢250年の不断桜(滋賀県指定天然記念物)などみどころも多い。アメリカの放送局・CNNが選んだ「日本の最も美しい場所31選 」の一つ。
聖徳太子が建立したと伝わる古刹。平安時代になると、万事吉祥縁結びの祈祷道場として広く信仰を集めた。参道の石段が険しいことで知られ、西国三十三カ所の中でも最大の難所といわれてきたが、現在は車で山頂近くまで行ける。平成5年(1993)に本堂・本尊が焼失し、平成16年(2004)落慶。インド政府の特別許可で輸入した白檀香木で造立した、丈六千手観音座像が現在の本尊だ。寺の奥には、戦国武将佐々木六角氏の居城・観音寺城跡がある。
近隣33郷の総社として知られ、西本殿(国宝)をはじめ鎌倉から室町時代の名建築が並んでいる。
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