
大池寺
天平年間、勅命を受けた行基が4つの貯め池の中央に本堂を建てたのが始まり。美しく刈り込みまれたサツキが印象的な蓬莱[ほうらい]庭園は禅味豊かな観賞式枯山水庭園で、小堀遠州が築いたといわれる。サツキと白砂で大海をゆく宝船を表現しており、紅白の花で彩られる5月下旬~6月中旬が見ごろ。
- 「水口駅」から徒歩19分/「水口松尾駅」から徒歩23分
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天平年間、勅命を受けた行基が4つの貯め池の中央に本堂を建てたのが始まり。美しく刈り込みまれたサツキが印象的な蓬莱[ほうらい]庭園は禅味豊かな観賞式枯山水庭園で、小堀遠州が築いたといわれる。サツキと白砂で大海をゆく宝船を表現しており、紅白の花で彩られる5月下旬~6月中旬が見ごろ。
西暦131年に大嶋神社として創建され、正暦2年(991)に宇佐八幡宮を勧請して以来、近江商人の信仰を集めてきた古社。エノキやムク、杉などの古木が生い茂る境内には、どっしりとした拝殿や本殿が静かに佇んでいる。社宝の安南渡海船額(重要文化財、非公開)は、安南(ベトナム)貿易で活躍した豪商・西村太郎右衛門が正保4年(1647)に奉納したもの。寛永13年(1636)に出された鎖国令で帰国できなくなり、望郷と鎖国解禁の思いを込めて自らの姿を描かせた。絵馬殿で複製を拝観できる。3月の左義長まつり、4月の八幡まつりも全国的に有名。ともに国選択無形民俗文化財。
健康長寿のご利益があるといわれる、西国三十三カ所第31番札所。長命寺山の中腹に立つ。聖徳太子の創建とされ、山を登ると本堂(重要文化財)や護摩堂(重要文化財)、三重塔(重要文化財)などの諸堂が並び、本堂には本尊の千手観音立像が祀られている。境内からは琵琶湖が一望できる。
和銅年間に創建され、最澄[さいちょう]によって再興された緑深い岩根山中腹に立つ名刹。境内には貞治5年(1366)に再建された檜皮葺き入母屋造の本堂(国宝)があり、堂内には平安期のものをはじめ約30体の仏像が安置されている。そのうち15体は国の重要文化財に指定されている。桓武[かんむ]天皇の病気を治癒したことにより、寺名の由来ともなった清水が今も湧き出す。
延暦11年(792)、この地を訪ねた最澄が霊夢を感じたことから、イチイの木に刻んだ十一面観音菩薩(重要文化財)を本尊として祭る。高さ3.3mの日本最大級の木造坐像で、11月3日の糖尿病の御加持ほか春、秋に特別公開される。
六国史の日本三代実録に元慶元年(877)12月3日「授近江國正六位上油日神從五位下」という記述が見られ、元慶元年(877)以前の創立とわかる。中世以降は江洲に無穏大社と仰ぎ、甲賀郡(現在の甲賀市と湖南市を合わせた地域)の総社として甲賀武士(甲賀古士・甲賀忍者)達に信仰された。本殿・拝殿・楼門・東回廊・西廻廊はそれぞれ国指定重要文化財であり、室町時代の社殿群が揃って現存する。現在は社名の通り全国の油業界の信仰も集めている。白洲正子の著書『かくれ里』でも紹介され、近年は映画やドラマなどのロケ地として有名。
伊吹山四大護国寺1つ白鳳2年(673)に役行者が開いた修験道の霊場として栄えた弥高護国寺の学頭。伊吹山の中腹に位置しており、十一面千手観音などの寺宝を拝観するために、多くの参拝客が訪れる。四季折々の美しい景観にも定評がある。
邇々杵神社は宮前坊の氏神で、邇々杵尊[ににぎのみこと]が祭神。木造の二重多宝塔は、江戸末期の建立、方3間でどっしりとした安定感がある。朽木神宮寺宝塔として朽木神宮寺に属していたが、邇々杵神社の奥の院の塔とも考えられ、宝塔内には木造釈迦如来像と23躯の薬師如来像が安置されている。平安時代の作風を残す倉時代初期の仏像である。また、5月10日に行われる例祭では、神輿渡御[みこしとぎょ]が有名。
青龍山の巨石信仰をルーツとする神社。丘の上に立っており、多賀の景色が見渡せる。また、寿福、延命にご利益があるといわれている。ここ胡宮神社には「平清盛出生のなぞ?」として「仏舎利相承図」というものが残っている。
大崎観音の名で親しまれる寺。大宝2年(702)に泰澄[たいちょう]大師が開山。近江四国第9番札所に指定される滋賀県内有数の観音札所で、琵琶湖八景の一つに数えられる景勝地として多くの参詣者が訪れる。境内の展望台から眺める琵琶湖の景観は見事だ。
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