
常行堂・法華堂(弁慶のにない堂)
延暦寺西塔の見どころの一つ。宝形造の2つの建物は渡り廊下でつながって並び立っており、「弁慶のにない堂」と呼ばれる。力持ちの弁慶が、この渡り廊下を天秤棒にして2つの堂を担いだとの伝説による。このお堂では90日間におよぶ修行が行われる。堂内は非公開。
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延暦寺西塔の見どころの一つ。宝形造の2つの建物は渡り廊下でつながって並び立っており、「弁慶のにない堂」と呼ばれる。力持ちの弁慶が、この渡り廊下を天秤棒にして2つの堂を担いだとの伝説による。このお堂では90日間におよぶ修行が行われる。堂内は非公開。
延暦寺開祖である伝教大師最澄の廟所で、山内第一の聖域。古木に包まれたあたりは静寂が支配し、厳粛な気持ちにさせられる。堂内は非公開。
景行天皇46年に創祀され、源頼朝が源氏の再興を祈願したといわれる古社。毎年8月17日には、大津三大祭の一つ、納涼船幸祭が行われる。
琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の鹿跳渓谷にある立木観音。1200年前、弘法大師が42歳の厄年に山に光る霊木を見つけられ、立木のまま師の背丈に合わせて聖観世音菩薩を刻み開基された。以来、立木観音は老若男女問わず、厄除け、心願成就、病気平癒、家内安全等あらゆる災いから譲ってくれる霊験あらたかな観音様として「たちきさん」と呼ばれ、広く信仰を集めている。境内まで、石段が約800段続く。
上坂本・下坂本・葛川の寺領を有する延暦寺に仕え、行政に携わった山門公人衆。この公人衆が江戸時代に住んだ屋敷を見学できる。主屋は表門や米蔵などのある大型民家。大津市指定文化財に登録。
源義経の軍勢に敗れ、この地で討死にした木曽義仲[きそよしなか]を弔うために、義仲の側室だった巴御前[ともえごぜん]が建てた草庵が始まりという。松尾芭蕉がたびたび滞在したことでも知られ、芭蕉と義仲の墓が並んで立つ。境内(史跡)には芭蕉の句碑もある。
『これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関』という百人一首の作者で、琵琶の名手として知られる平安時代の歌人・蝉丸を祀る。蝉丸が逢坂山に隠棲していたという伝説にちなんで建てられ、この下社のほか上社が近くにある。境内入口には関の清水跡、本殿横に鎌倉時代の時雨[しぐれ]灯籠と呼ばれる石灯籠(重要文化財)がたたずむ。上社の南西、国道1号北側には逢坂山関跡がある。
延暦寺東塔にあり、天台宗の僧侶が受戒するお堂。最澄没後7日目にして建立が許可された。内部の拝観は不可。
滋賀院門跡の上にある恵日院境内に立つ。信長による焼き打ちのあと、延暦寺の復興に尽力し、家康をはじめとした江戸幕府に仕えた慈眼大師天海[じげんだいしてんかい]を祀る廟所で、本尊木造慈眼大師坐像は国指定重要文化財。境内には家康や紫式部の供養塔、江戸以降の天台座主の墓のほか高島市の鵜川四十八体石仏のうちの13体などが並ぶ。
天平19年(747)に良弁[ろうべん]僧正が開いた名刹。硅灰石[けいかいせき](天然記念物)が露出した境内には、本尊の如意輪観世音菩薩(秘仏・重要文化財)を安置する本堂(国宝)、建久5年(1194)に源頼朝が寄進した多宝塔(国宝)、桃山時代に再建された入母屋造の東大門(重要文化財)などの堂宇が並ぶ。本堂には紫式部が『源氏物語』を起筆したという源氏の間がある。
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