村雲御所瑞龍寺門跡
八幡山城跡にある日蓮宗唯一の門跡寺院。豊臣秀次の菩提を弔うため生母(秀吉に姉)日秀[にっしゅう]尼公が創建。当初は京都村雲の地にあった。境内からは近江八幡市街や琵琶湖を一望できる。2020年より寺内が修繕修復改装され、妙法の庭、木村英輝氏の蓮の壁画の回廊、maisuの襖絵や、八幡山城時代の石垣や戦国武者階段などがある。山頂までは八幡山ロープウェーを利用。
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八幡山城跡にある日蓮宗唯一の門跡寺院。豊臣秀次の菩提を弔うため生母(秀吉に姉)日秀[にっしゅう]尼公が創建。当初は京都村雲の地にあった。境内からは近江八幡市街や琵琶湖を一望できる。2020年より寺内が修繕修復改装され、妙法の庭、木村英輝氏の蓮の壁画の回廊、maisuの襖絵や、八幡山城時代の石垣や戦国武者階段などがある。山頂までは八幡山ロープウェーを利用。
宝殿ケ岳山頂にあった神社の別当寺として建立された浄土宗の寺。「さつき寺」の名があるだけに、6月上旬から中旬にかけて花の時期には、約1000株の見事なサツキが境内に咲き競う。特に樹齢380年の大サツキは高さが2mを超える見事なもの。寺は人の集まる処、そこには笑いあり涙あり、そして出逢いがあり、法話、噺、随時聞くことができる。
青龍山の巨石信仰をルーツとする神社。丘の上に立っており、多賀の景色が見渡せる。また、寿福、延命にご利益があるといわれている。ここ胡宮神社には「平清盛出生のなぞ?」として「仏舎利相承図」というものが残っている。
肩幅が広くお腹の肉付きも豊かで、表情もふっくらとしているため、見ている人を穏やかな感情にさせる十一面観音立像(重要文化財)を安置する。拝観は携帯電話番号へ事前に連絡を。正妙寺の千手千足観音立像も同時に拝観できる。
滋賀院門跡の上にある恵日院境内に立つ。信長による焼き打ちのあと、延暦寺の復興に尽力し、家康をはじめとした江戸幕府に仕えた慈眼大師天海[じげんだいしてんかい]を祀る廟所で、本尊木造慈眼大師坐像は国指定重要文化財。境内には家康や紫式部の供養塔、江戸以降の天台座主の墓のほか高島市の鵜川四十八体石仏のうちの13体などが並ぶ。
元和元年(1615)、天海僧正が建立。天台座主の御座所だったことから、滋賀院御殿とも呼ばれていた門跡寺院。高い石垣と白壁が特徴で、約2万平方mの敷地内には宸殿[しんでん]、書院、庫裡[くり]などが並んでいる。宸殿の西側には、小堀遠州の作庭と伝えられる池泉観賞式庭園がある。桃山時代の金碧画『桜之図』をはじめ、渡辺了慶の障壁画など貴重な文化財も所有。
延暦寺東塔にあり、昭和38年(1963)に坂本の讃仏堂を移築したもので、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮ら比叡山で修行し、各宗の開祖となった僧の等身大の木像を安置する。
延暦寺西塔から北東4km、東海自然歩道で1時間30分の距離にある。最澄の弟子である慈覚大師円仁によって開かれ、恵心僧都源信をはじめ、親鸞、日蓮、道元ら後世に名を残す僧が修行した地。横川中堂を中心に、三塔のなかで最も宗教的な雰囲気が残っているエリアだ。所要約1時間。
赤門と呼ばれる、朱塗りの山門で有名な寺。石田三成の居城・佐和山城の大手門を利用したものと伝わる。本尊阿弥陀如来は淀殿の念持仏で、大坂城より持ち出されたといわれる。書院の地蔵尊と千体仏は石田三成の念持仏とされ、紅白の砂利を火と水にみなした「彼岸白道の庭」がある。本堂には彦根藩の徳川家康の位牌を安置する。江戸時代は朝鮮通信使の宿館でもあった。
琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の鹿跳渓谷にある立木観音。1200年前、弘法大師が42歳の厄年に山に光る霊木を見つけられ、立木のまま師の背丈に合わせて聖観世音菩薩を刻み開基された。以来、立木観音は老若男女問わず、厄除け、心願成就、病気平癒、家内安全等あらゆる災いから譲ってくれる霊験あらたかな観音様として「たちきさん」と呼ばれ、広く信仰を集めている。境内まで、石段が約800段続く。
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