根本中堂(総本堂)
東塔の中心であるだけでなく延暦寺の総本堂で、最澄が創建した一乗止観院の後身。現在の建物は織田信長の比叡山焼き討ち後、寛永19年(1642)に徳川家光により再建された。単層入母屋造、正面37m、側面24mの堂々とした建築。本尊薬師如来像の前には「不滅の法灯」が、開山以来1200年にわたり灯され続ける。
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東塔の中心であるだけでなく延暦寺の総本堂で、最澄が創建した一乗止観院の後身。現在の建物は織田信長の比叡山焼き討ち後、寛永19年(1642)に徳川家光により再建された。単層入母屋造、正面37m、側面24mの堂々とした建築。本尊薬師如来像の前には「不滅の法灯」が、開山以来1200年にわたり灯され続ける。
上坂本・下坂本・葛川の寺領を有する延暦寺に仕え、行政に携わった山門公人衆。この公人衆が江戸時代に住んだ屋敷を見学できる。主屋は表門や米蔵などのある大型民家。大津市指定文化財に登録。
比叡山延暦寺中興の祖・元三大師良源の住居跡と伝わる。康保4年(967)、村上天皇の勅命で四季に法華経が講義されたことから、四季講堂と呼ばれるようになった。現在は元三大師像を本尊としており、「横川のお大師さん」と親しまれる。
景行天皇46年に創祀され、源頼朝が源氏の再興を祈願したといわれる古社。毎年8月17日には、大津三大祭の一つ、納涼船幸祭が行われる。
大津京を開いた天智天皇を祭神とし、大津京跡隣接地に鎮座。約20万平方mの境内には、朱塗りの楼門のほか、昭和造や近江造と称される拝殿、本殿が立ち並ぶ。また楼門を入った左手には、漏刻[ろうこく](水時計)を設けて初めて時刻制度を確立した天智天皇にちなんで造られた、時計館宝物館や、漏刻、日時計などもある。百人一首かるた名人戦などかるたの聖地としても知られる。建物の多くは登録有形文化財に指定されている。天智天皇が困難な中で日本の運命を開いていかれたことから、開運の神と崇敬されている。
比叡山で厳しい修行を積んだ僧侶たちが隠居坊として暮らした延暦寺里坊の一つ。邸内には、八王子山を借景に滝や築山を配した約3300平方mの回遊式庭園が広がる。その中に2棟の茶室とあずまやが佇み、たっぷり植えられた木々、手入れの行き届いた苔が四季折々しっとりした風情をかもしだしている。庭園は国の名勝に指定されている。
源義経の軍勢に敗れ、この地で討死にした木曽義仲[きそよしなか]を弔うために、義仲の側室だった巴御前[ともえごぜん]が建てた草庵が始まりという。松尾芭蕉がたびたび滞在したことでも知られ、芭蕉と義仲の墓が並んで立つ。境内(史跡)には芭蕉の句碑もある。
滋賀県と京都府の境にある岩間山嶺上にあり、養老6年(722)に元正天皇の勅命により泰澄大師によって開かれた。境内には日本随一の桂の大樹郡があり、特に「長寿桂」は樹姿・大きさともに圧巻。本尊は、「汗かき観音」「雷除観音」「ぼけ封じ厄除観音」として親しまれている。西国三十三所十二番札所。
延暦寺の僧、相応和尚が開いたといわれる天台修験の聖地。室町時代には九代将軍足利義尚やその母日野富子などが参籠に訪れた。
延暦寺東塔にあり、天台宗の僧侶が受戒するお堂。最澄没後7日目にして建立が許可された。内部の拝観は不可。
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