
永源寺
康安元年(1361)創建、臨済宗永源寺派の大本山。開山は寂室元光禅師(正灯国師)。紅葉の名所として知られ、秋には境内全域が鮮やかに彩られ、総門から山門(滋賀県指定文化財)へと参拝者が列をなす。奥へ進めば、全国でも珍しいヨシ葦きの大屋根をもつ本堂が出迎える。ここに祀られる本尊は、世継観音[よつぎかんのん]と称され、一心に願えば世継ぎを授かる、霊験あらたかな子授けの観音として親しまれている。永源寺と奥永源寺の山村景観は日本遺産「琵琶湖とその水辺景観」構成資産に認定されている。
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康安元年(1361)創建、臨済宗永源寺派の大本山。開山は寂室元光禅師(正灯国師)。紅葉の名所として知られ、秋には境内全域が鮮やかに彩られ、総門から山門(滋賀県指定文化財)へと参拝者が列をなす。奥へ進めば、全国でも珍しいヨシ葦きの大屋根をもつ本堂が出迎える。ここに祀られる本尊は、世継観音[よつぎかんのん]と称され、一心に願えば世継ぎを授かる、霊験あらたかな子授けの観音として親しまれている。永源寺と奥永源寺の山村景観は日本遺産「琵琶湖とその水辺景観」構成資産に認定されている。
赤門と呼ばれる、朱塗りの山門で有名な寺。石田三成の居城・佐和山城の大手門を利用したものと伝わる。本尊阿弥陀如来は淀殿の念持仏で、大坂城より持ち出されたといわれる。書院の地蔵尊と千体仏は石田三成の念持仏とされ、紅白の砂利を火と水にみなした「彼岸白道の庭」がある。本堂には彦根藩の徳川家康の位牌を安置する。江戸時代は朝鮮通信使の宿館でもあった。
滋賀県内で唯一、国宝に指定されている十一面観音立像(平安初期作)(国宝)をまつる。頭に配置された菩薩の配列や、鼓胴形の大きな耳飾りが特徴的だ。天平8年(736)に僧泰澄が、都に流行していた疫病除けの奇岩を込めて刻んだと伝えられる。織田信長の小谷攻めのときに堂宇は焼失したが、観音像は住職と徒一同らが運び出して難を逃れたという。その他、大日如来坐像(重要文化財)、阿弥陀仏像、十一面観音像、金号力士像(県指定文化財)などがあるなどもある。
文化8年(1811)、彦根藩第11代藩主・井伊直中が建立した寺。羅漢堂に並ぶ五百羅漢は京都の名工駒井朝運[こまいちょううん]作で、会いたい人の面影が必ず見つかるといわれる。
遠州井伊谷から移された井伊家の菩提寺。白砂の上に48の石を配置した枯山水の「ふだらくの庭」をはじめとした名庭で名高い。
茶道や造園で有名な小堀遠州の菩提寺。息子・宗慶が承応2年(1653)に建立した。滋賀県名勝の池泉と枯山水の複合庭園があり、自然との調和が美しい。晩秋の紅葉も見事。
大崎観音の名で親しまれる寺。大宝2年(702)に泰澄[たいちょう]大師が開山。近江四国第9番札所に指定される滋賀県内有数の観音札所で、琵琶湖八景の一つに数えられる景勝地として多くの参詣者が訪れる。境内の展望台から眺める琵琶湖の景観は見事だ。
三成が鷹狩で立ち寄った秀吉に茶を献じて、その才能を見出されたという逸話が残る。
明治維新まで大名として続いた京極氏の菩提寺で、弘安9年(1286)、京極氏の初代氏信が建立。境内には本堂、位牌殿、三重塔などが立ち、国指定史跡となっている京極家墓所には、京極氏歴代34基の宝篋印塔が並ぶ。また、小堀遠州作といわれる回遊式庭園が見事。
正式には真宗大谷派本願寺別院と呼ばれ、慶長2年(1597)に地元出身の郷士大村刑部らが教如上人[きょうにょしょうにん](東本願寺開創の上人)のために堂宇を建立したことに始まる。延宝2年(1674)建立の表門(重要文化財)、入母屋造[いりもやづくり]の本堂(重要文化財)をはじめ、教如上人の分骨を納めた廟所、鐘楼などがある。
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