釈迦堂(転法輪堂)
延暦寺西塔の中心となる堂。最澄自作と伝わる本尊釈迦如来を安置することから、一般に釈迦堂の名で呼ばれる。信長の焼き討ち後の文禄4年(1595)、豊臣秀吉により近江の園城寺(三井寺)の金堂が移築されたもの。鎌倉時代の建築で、山内では最古の建物。
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延暦寺西塔の中心となる堂。最澄自作と伝わる本尊釈迦如来を安置することから、一般に釈迦堂の名で呼ばれる。信長の焼き討ち後の文禄4年(1595)、豊臣秀吉により近江の園城寺(三井寺)の金堂が移築されたもの。鎌倉時代の建築で、山内では最古の建物。
琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の鹿跳渓谷にある立木観音。1200年前、弘法大師が42歳の厄年に山に光る霊木を見つけられ、立木のまま師の背丈に合わせて聖観世音菩薩を刻み開基された。以来、立木観音は老若男女問わず、厄除け、心願成就、病気平癒、家内安全等あらゆる災いから譲ってくれる霊験あらたかな観音様として「たちきさん」と呼ばれ、広く信仰を集めている。境内まで、石段が約800段続く。
延暦11年(792)、この地を訪ねた最澄が霊夢を感じたことから、イチイの木に刻んだ十一面観音菩薩(重要文化財)を本尊として祭る。高さ3.3mの日本最大級の木造坐像で、11月3日の糖尿病の御加持ほか春、秋に特別公開される。
蒲生野には古代ロマンを伝える寺社が点在。この寺には、インドのアショカ王が世界に撒いた8万4000の石塔のひとつといわれる阿育王塔(重要文化財)のほか、多数の石塔や石仏が立つ。
約1400年前に創建された神社で、古くから「勝利と幸福を授ける神様」として信仰される。山全体が神域になっており、神様を守護する天狗が住んでいるという伝説も残されている。本殿前には夫婦岩と呼ばれる大きな岩があり、その隙間を通り抜けて神様にお参りする。この夫婦岩には「思いを込めて通れば願いが叶う。しかし、悪い心を持っていると岩に挟まれてしまう」という言い伝えがあり、近年はパワースポットとしても知られている。また、参集殿では自分だけのお守りを手作りする「おまもりづくり体験」もできる。
固く結んだふくよかな唇に、わずかに朱が残っている愛らしい姿の十一面観音立像(重要文化財)を本尊として安置している。作家・井上靖が、小説『星と祭』の中で観音像の姿を村の若い娘にたとえたことで有名。
弓の名手・那須与一の孫である愚咄坊が開基したという、真宗大谷派の寺院。表門の瓦には那須与一に由来した扇の紋がある。犬上郡石畑に建設されたが、天正9年(1581)に現在地の金堂地区に移転した。本堂は京都・東寺の五重塔などを手がけた棟梁による、大きな屋根が印象的。間口30m、奥行35mで滋賀県下2番目の大きさを誇る国の重要文化財。
天平13年(741)に行基が開いた寺。湖東三山のひとつで、本堂(国宝)をはじめ二天門(重要文化財)や三重塔(重要文化財)などの文化財が並ぶ。行基の作と伝えられる本尊・聖観世音菩薩は住職一代につき1度のみの公開だが、重要文化財の指定を受けた仏像10数体が拝観できる。桃山~江戸中期に造られた庭園(名勝)は近江一と称される。
邇々杵神社は宮前坊の氏神で、邇々杵尊[ににぎのみこと]が祭神。木造の二重多宝塔は、江戸末期の建立、方3間でどっしりとした安定感がある。朽木神宮寺宝塔として朽木神宮寺に属していたが、邇々杵神社の奥の院の塔とも考えられ、宝塔内には木造釈迦如来像と23躯の薬師如来像が安置されている。平安時代の作風を残す倉時代初期の仏像である。また、5月10日に行われる例祭では、神輿渡御[みこしとぎょ]が有名。
嘉禎3年(1237)創建で、曹洞宗の開祖・道元禅師ゆかりの古刹。みどころは広さ約770平方mの池泉回遊式の旧秀隣[しゅうりん]寺庭園(名勝)。「鼓の滝」が流れ、曲水に鶴島、亀島が浮かび、そこに樹齢500年の藪椿がある。本堂には本尊の釈迦如来坐像(重要文化財)が安置されている。
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