結の故郷越前おおの冬物語
城下町越前おおのに雪見灯ろうが並ぶ
期間2026年2月7日(土)
会場越前おおの結ステーション、七間通り、六間通り、五番通り 他
- 福井県 大野市
- 越前大野駅
養浩館庭園はかつての福井藩主松平家の別邸。この優雅な書院建築の屋敷を取り巻く回遊式林泉庭園は、江戸時代を代表する名園として知られていたが、昭和20年(1945)、建物や樹木を福井大空襲で焼失。その後、国の名勝に指定されたのを機に、文政6年(1823)の古図をもとに建物と庭園が復元された。広大な池を中心に築山や入江などを配した優美な庭園が蘇った。また麻の葉模様を透彫にした欄間のある主座敷の御座ノ間や、池に映る月を見るための雲窓の出書院がある御月見ノ間なども見ごたえ充分。
北庄城は、織田家一の武将・柴田勝家が築いた城で、9層の見事な天守閣を誇っていたが、天正11年(1583)、羽柴秀吉の軍に攻められ落城。勝家は自ら城に火を放ち、妻・お市の方とともに場内で自刃した。わずか8年余りで消えたため幻の名城ともいわれている。北の庄城址・柴田公園は北庄城の遺構の上にあり、勝家やお市の方、茶々・初・江の三姉妹の像のほか、北庄城に関する遺物や史料を展示する北の庄城址資料館が立つ。隣接する柴田神社には柴田勝家とお市の方を合祀。北の庄城址は令和元年(2019)に日本遺産に認定された。
約270年間、17代にわたり、越前松平家の繁栄の舞台となった福井城。慶長11年(1606)、初代福井藩主で徳川家康の次男・結城[ゆうき]秀康[ひでやす]によって築城された。当時は高さ約37m、4層5重もの雄大な天守閣と三重の堀をもっていたといわれる。現在残る遺構は堀の一部と石垣のみ。天守台下には福井の地名の由来にもなったという説もある井戸跡「福の井」もある。藩主専用の出入口であったとされている山里口御門が復元され、当時の様子を窺い知ることができる。令和元年(2019)5月には、日本遺産に認定された。