
青龍寺
四国霊場第36番札所。弘法大師が修行先の唐から投げた、独鈷杵[とこしょ]が見つかったことから開基したと伝わる。本尊の波切不動明王[なみきりふどうみょうおう]像は漁民の信仰が篤く、本堂には船を描いた絵馬が多く掲げられている。鎌倉時代作といわれる、寄木造の愛染明王坐像[あいぜんみょうおうざぞう]は重要文化財。
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四国霊場第36番札所。弘法大師が修行先の唐から投げた、独鈷杵[とこしょ]が見つかったことから開基したと伝わる。本尊の波切不動明王[なみきりふどうみょうおう]像は漁民の信仰が篤く、本堂には船を描いた絵馬が多く掲げられている。鎌倉時代作といわれる、寄木造の愛染明王坐像[あいぜんみょうおうざぞう]は重要文化財。
浦ノ内湾の奥深く、海に面して立ち、社伝では奈良時代の創建ともいわれている古社。現在の社殿は寛文3年(1663)の再建で、切妻造、柿葺[こけらぶき]の本殿と幣殿[へいでん]、拝殿[はいでん]の3棟からなり、いずれも国の重要文化財に指定されている。各所に施された極彩色の彫刻も見事。鳥居が海べりに立つ構えから、土佐の宮島の名もある。朱塗りの大鳥居も美しい。
神亀元年(724)、名僧行基に創建された古刹。日本三大薬師の一つに数えられる薬師堂は、四国最古の木造建築物で国宝に指定。緩やかな勾配の屋根、反り返った優美な軒先が、藤原氏全盛期の様式を今に伝える。
土佐神社(土佐一宮)の別当寺として建立された。明治時代、廃仏毀釈で廃寺となったが、昭和になって復興。境内には首から上の病気にご利益があるという梅見地蔵がある。
明治維新後、廃仏毀釈で一時、廃寺になった雪蹊寺より宝寺を貰い受け、明治4年(1871)創建された。長宗我部元親公を主祭神とし、秦家代々の先祖、戸次川で戦死した信親家臣忠死の徒を付祭神として祀る。レンタサイクルあり。
行基によって神亀元年(724)に開創され、弘法大師によって四国八十八カ所霊場札所に定められたとされる土佐屈指の古刹。知恵の仏様文殊菩薩(重要文化財)が本尊なので、合格祈願をする受験生も多い。本堂(重要文化財)、大師堂、五重塔、高僧・夢窓国師作とされる庭園が広がる。宝物館では阿弥陀如来立像、千手観音立像などの重要文化財も数多く所蔵している。
大同2年(807)弘法大師の開基と伝わる古刹で、室戸岬頂上にある四国霊場第24番札所。俗に金剛頂寺を西寺と呼び、ここを東寺と呼ぶ。宝物殿には平安末期の作とされる仏像3体(重要文化財)と足利時代の作である3つ足丸盆1対(重要文化財)があるが、なかでも如意輪観音半跏像[にょいりんかんのんはんかぞう]は大理石でできた非常に珍しいもの。弘法大師自らが刻んだといわれる、ご本尊の虚空蔵菩薩[こくうぞうぼさつ]は秘仏。境内には空海の七不思議、鐘石[かねいし]と喰わずの芋がある。
天慶年間(938~947)創建。山麓を利用した築山に蓮池を配した、四季の景観が美しい池泉回遊式庭園をもつ。また、宝物館には700年前の象牙の毘沙門天像や、どの角度から見ても真正面に顔が向いているように見える八方にらみ虎の額など、必見の仏像や寺宝類が多数ある。なお、庭園の見学は寺務所に申し出ること。宝物館は事前に問い合わせ、許可があれば拝観可能だ。
神亀[じんき]元年(724)、行基[ぎょうき]の創建といわれる古刹。国宝の薬師堂は平安期の建立で、単層入母屋造、優美な曲線を描く柿葺[こけらぶき]の屋根と深い軒が当時の建築様式を伝える。ほかに瑠璃光殿、大師堂、庫裏があり、薬師堂に安置されている3体の如来坐像[にょらいざぞう]と、2体の菩薩像、2体の天部像は重要文化財に指定されている。電話にて事前に予約すれば拝観することも可能だ。
弘法大師が悟りを開いた2つの洞窟。向かって右が、三教指帰[さんごうしいき]の悟りを得たとされる神明窟。もう一方の寝起きしたとされる御厨人窟には、五社神社がある。ここから見える空と海に感銘を受け、自ら空海を名乗ったといわれる。
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