武市半平太旧宅
土佐勤王党の盟主、武市半平太の旧宅。もとはか藁葺きで6室あり、8畳の客間の柱には半平太が字を刻んだあとがある。個人宅なので、原則敷地内の公開はしていない。近くに半平太と妻富の墓が寄り添うように建っている。武市半平太旧宅と墓は昭和11年(1936)9月に国の史跡に指定されている。
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土佐勤王党の盟主、武市半平太の旧宅。もとはか藁葺きで6室あり、8畳の客間の柱には半平太が字を刻んだあとがある。個人宅なので、原則敷地内の公開はしていない。近くに半平太と妻富の墓が寄り添うように建っている。武市半平太旧宅と墓は昭和11年(1936)9月に国の史跡に指定されている。
乱礁遊歩道の入口に立つ像。現在の安芸郡北川村に生まれた慎太郎は、陸援隊隊長として幕末に活躍した尊攘[そんじょう]の志士。慶応3年(1867)11月15日、海援隊隊長の坂本龍馬と共に、京都の近江屋で暗殺された。このとき慎太郎30歳。その目線は、遠く太平洋に注がれている。
龍馬が14歳から19歳まで修業した道場の跡付近。場所は特定できないが、頑丈な石垣などが往時の風景を思い起こさせる。
屋島の檀ノ浦の戦いで、天皇の身代わりを立て安徳天皇が落ち延びて来たのち、無念の死を遂げたという伝承の横倉山中にある。第3駐車場から徒歩約40分のところにあるとても立派なもので、すぐ近くには4億年前の石灰岩から成る断崖の「馬鹿だめし」と、その上に建つ安徳天皇を祭神とする「横倉宮」などのみどころあり。
いかにも彌太郎らしい堂々とした姿の銅像。昭和59年(1984)、彌太郎の生誕150年を記念して募金活動を展開。目標額の3000万円をわずか1年で集めて建立された。
龍馬暗殺後、妻のお龍は一時、妹が嫁いだ芸西村で暮らした。その銅像は、形見のピストルで小鳥を撃って遊んだという浜(琴ケ浜)に立つ。
高床平屋建ての建築物で、幕末から大正にかけて幡多に点在した泊り屋の1つ。地域の警備や行事などのために若者が寝泊りした。国の重要有形民俗文化財に指定。外観の見学のみで内部は見学できない。
竜頭岬の小高い丘の上にあり、はるか太平洋を見据える龍馬の銅像。昭和3年(1928)に完成したもので、和服姿に懐手をしてブーツといういでたちで堂々と立つ。像の高さは台座を含め約13.5m。
土佐の戦国武将・長宗我部氏が居城とした岡豊城は、高知県のほぼ中央、高知平野北辺の国分川を望む標高97mの岡豊山に築かれた。岡豊城跡には、土を盛り上げた土塁[どるい]・石積みや竪堀[たてほり]などが残っており、四国の戦国期城郭を代表する遺跡として国史跡に指定されている。この城跡は2019年3月まで、毎週土・日曜、祝日にガイドが無料で案内してくれる。また、2019年2月まで詰[つめ]に設置する櫓[やぐら]からは長宗我部氏の目線で眺望を楽しめる。岡豊城は平成29年(2017)4月に「続日本100名城」に選出された。
梼原の志士たちの脱藩を陰で支えた、財力豊かな神官・掛橋和泉の旧邸を移築。屋敷は同志たちの議論や密会の場になったという。
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