桂浜
土佐湾に臨む白砂青松の浜辺で、月の名所として知られる。例年中秋の名月の夜には観月会が開催される。周辺には大町桂月記念碑などが立ち、散策によい。
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土佐湾に臨む白砂青松の浜辺で、月の名所として知られる。例年中秋の名月の夜には観月会が開催される。周辺には大町桂月記念碑などが立ち、散策によい。
土佐勤王党の盟主、武市半平太の旧宅。もとはか藁葺きで6室あり、8畳の客間の柱には半平太が字を刻んだあとがある。個人宅なので、原則敷地内の公開はしていない。近くに半平太と妻富の墓が寄り添うように建っている。武市半平太旧宅と墓は昭和11年(1936)9月に国の史跡に指定されている。
旅人がひと息つき、地元の人たちと交わる場として、江戸時代に作られた建物。町内に13棟保存されている。
龍馬暗殺後、妻のお龍は一時、妹が嫁いだ芸西村で暮らした。その銅像は、形見のピストルで小鳥を撃って遊んだという浜(琴ケ浜)に立つ。
龍馬が14歳から19歳まで修業した道場の跡付近。場所は特定できないが、頑丈な石垣などが往時の風景を思い起こさせる。
吉村虎太郎は津野山郷芳生野(現津野町)の庄屋の家に生まれた。土佐藩脱藩第1号。倒幕を目指して天忠組を組織し、大和国(現奈良県)へ挙兵するが、27歳の若さで壮絶な戦死を遂げた。銅像は昭和43年(1968)に津野町内外の有志によってつくられた。
明治6年(1873)に建築された「鍋蓋上廻し式」の舞台。この様式では日本唯一で、国の重要有形民俗文化財。4年毎の秋に高野地区住民によって「高野農村歌舞伎」が上演される。
18世紀後半に建てられた農家の住宅跡。囲炉裏を中心に据えた竹編みの床、茅葺き屋根などは当時の山村でよく見られた建築様式で、国の重要文化財に指定。土間には和紙の原料を蒸す道具なども展示。
三層六階の天守をもつ平山城[ひらやまじろ]。初代土佐藩主・山内一豊が慶長6年(1601)に築城を開始。慶長16年(1611)、二代藩主・忠義の時に完成した。その後焼失したが、宝暦3年(1753)に再建。天守をはじめ、詰門[つめもん]や東西の多聞櫓[たもんやぐら]、黒鉄[くろがね]門は、いずれも重要文化財に指定されている。天守のある本丸は、全国で唯一天守・御殿などの建造物がセットで残る。追手門そばの板垣退助像や山内一豊像、その妻の千代像も見逃せない。
「土佐の高知のはりまや橋で坊さんかんざし買うを見た」とよさこい節でも歌われているはりまや橋。その始まりは江戸初期、堀川を挟んでいた御用商人の播磨屋と櫃屋[ひつや]が架けた私設の橋だった。藩政時代、町屋の中心であったはりまや橋は現在、はりまや橋・葉山庭園よさこい公園として整備され、昔の橋を再現。公園の地下通路では、昭和のはりまや橋や高知の観光スポットを紹介するパネル展示なども見ることができる。
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