
旧掛橋和泉邸
梼原の志士たちの脱藩を陰で支えた、財力豊かな神官・掛橋和泉の旧邸を移築。屋敷は同志たちの議論や密会の場になったという。
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梼原の志士たちの脱藩を陰で支えた、財力豊かな神官・掛橋和泉の旧邸を移築。屋敷は同志たちの議論や密会の場になったという。
高床平屋建ての建築物で、幕末から大正にかけて幡多に点在した泊り屋の1つ。地域の警備や行事などのために若者が寝泊りした。国の重要有形民俗文化財に指定。外観の見学のみで内部は見学できない。
18世紀末の建築で、国の重要文化財。土佐三大番所の一つで、参勤交代北山越えの経路、土佐路最後の本陣だった。山間部にも関わらず本格的な書院造りなのは珍しく、価値が高い。
龍馬暗殺後、妻のお龍は一時、妹が嫁いだ芸西村で暮らした。その銅像は、形見のピストルで小鳥を撃って遊んだという浜(琴ケ浜)に立つ。
屋島の檀ノ浦の戦いで、天皇の身代わりを立て安徳天皇が落ち延びて来たのち、無念の死を遂げたという伝承の横倉山中にある。第3駐車場から徒歩約40分のところにあるとても立派なもので、すぐ近くには4億年前の石灰岩から成る断崖の「馬鹿だめし」と、その上に建つ安徳天皇を祭神とする「横倉宮」などのみどころあり。
藩政時代に材木業などで栄えた岡家の屋敷で高知県東部では最高の格式をもった書院造りの建物。藩主が参勤交代や東部巡視の時に本陣として使用していた。天保15年(1844)の建築。
18世紀後半に建てられた農家の住宅跡。囲炉裏を中心に据えた竹編みの床、茅葺き屋根などは当時の山村でよく見られた建築様式で、国の重要文化財に指定。土間には和紙の原料を蒸す道具なども展示。
安芸城主五藤氏の家臣たちが集まり住んだ武家屋敷の町並み。ウバメガシの生け垣、土用竹の垣根や塀に囲まれた武家屋敷は、今も住み継がれている。平成24年(2012)7月には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。屋敷群の中ほどにある野村家(料金:見学無料、時間:9~17時、入場は~16時30分、休み:無休)のみ内部見学ができる。
安芸城は鎌倉時代に築城。戦国時代に建物は焼け落ちたが、残った井戸や土塁、濠、石組みなどが往時を伝える。
国道197号線沿いに広がる、梼原町の魅力を凝縮した公園。水車小屋や萱葺きの民家、茶堂などが建ち、まるで昔の日本に迷い込んだよう。一帯にはキャンプ場(敷地利用料、備品使用料別途)・雲の上の温泉・プール・ギャラリーがある。
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