
大悲願寺
立派な山門や本堂、庫裏、鐘楼などが立つ真言宗の寺。建久2年(1191)に源頼朝の命により、源平合戦の武将、平山季重[ひらやますえしげ]が建立したと伝えられ、代々武家の信仰を集めた。伝阿弥陀如来および脇侍像(重要文化財)の一般拝観は4月21・22日のみ。9月中旬~下旬に花をつける白萩の寺としても有名で、伊達政宗が訪れた際に庭の白萩を気に入り、15世住職に送ったという白萩所望の文書も残る。
- 「武蔵五日市駅」から徒歩21分/「武蔵増戸駅」から徒歩22分
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立派な山門や本堂、庫裏、鐘楼などが立つ真言宗の寺。建久2年(1191)に源頼朝の命により、源平合戦の武将、平山季重[ひらやますえしげ]が建立したと伝えられ、代々武家の信仰を集めた。伝阿弥陀如来および脇侍像(重要文化財)の一般拝観は4月21・22日のみ。9月中旬~下旬に花をつける白萩の寺としても有名で、伊達政宗が訪れた際に庭の白萩を気に入り、15世住職に送ったという白萩所望の文書も残る。
延喜式神名帳に名を連ねる古社。関東の鎮守として、源頼朝、足利尊氏、徳川家康などの名将に崇拝されたという。杉、松の森に囲まれた境内は荘厳な雰囲気に満ちている。
寺伝では建武元年(1334)に足利尊氏が建立し、南北朝第一代の光厳天皇が名前の由来という。都の天然記念物に指定されている推定樹齢400年のヤマザクラは、目通りの幹回り5.3mにおよび、都内のソメイヨシノより2週間遅れで開花を迎える。
崇神[すじん]天皇の時代の創建と伝わる古社で、関東の霊山信仰の要地。境内には都の有形文化財である旧本殿が立ち、宝物殿には国宝の赤糸威大鎧[あかいとおどしのおおよろい]などが収められている。毎年6月と10月の第3日曜には、都の無形文化財・太々神楽が公開される。
島の産土神を祀る稲根神社は延喜式にも記録が残る古社で、明治初期の廃仏毀釈令によって、全島民が稲根神社の氏子とされて以来、氏神様として厚い信仰を集めてきた。玉、剣、鏡の三種の神器は島南部の稲根ケ森の中にある本殿に祀られているが、島人が日常お参りするのは里にある拝殿で、毎年8月第1土・日曜に行われる例大祭は、この拝殿を中心に神輿の巡行が行われ島中が沸き立つような活気を見せる。また、江戸時代の画家英一蝶の筆による、板絵着色神馬図額なども奉納されている。
平安から室町時代に作られた銅鏡群(東京都有形文化財指定)が発見されたことで知られる神社。発掘によって出土した和鏡は祭祀のために使われたと推定されている。鳥居をくぐって玉石を三列に敷きつめた参道を上がると社殿である。この玉石や石垣は浜から石を運びくみ上げたもの。素朴な造りの神社である。
外輪山の頂上にある大里神社が島の鎮守であるのに対して、ここは、宝暦7年(1757)に、恋に破れた腹いせに島民7人を殺傷して入水自殺した浅之助の霊を鎮めるためのいわば祟り神を祀る神社。今では縁結びの神様として島民の信仰を集めているが、苔むした急な玉石の階段を登る参道は、両脇から木々が生い茂り、どこか神秘的な雰囲気が漂う。玉石の階段は急で滑りやすいため、東台所神社に足を運ぶには、尾山展望公園からのルートがおすすめ。
明神様と親しまれる利島の氏神様を祭る神社。社殿の建造は宝暦10年(1760)と伝わり、利島では最古の建造物だ。また、旧本殿は離島における数少ない江戸時代末期の神社本殿建築として国の文化財に登録されている。祭神の阿豆佐和気命は、伊豆諸島を造ったといわれる事代主命の子。島の南岸、宮塚山の中腹に本宮があるが、参拝に不便なので麓のこの場所に移された。
島で唯一の寺院。かつては新島の日蓮宗長栄寺の分院だったが、昭和29年(1954)に独立し、法光山東要寺となった。墓地に敷き詰められた白い砂は、島のお年寄りたちが浜辺から運んできたもの。お墓も常に美しく管理されており、感心させられる。本堂手前には、樹齢800年、高さ30m、幹回り5mというイヌマキの巨木が、また、墓地裏には約33平方mの範囲にわたってナギの自生地が広がっている。これらはともに都の天然記念物に指定されており、島内の隠れた名所となっている。
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