
金剛寺
平将門が承平年間(931~937)に創建したとされる真言宗の古刹。将門が願いを託して庭に植えたと伝わる「誓いの梅」は、熟さずに青いまま実を落とす。これが青梅の名の由来になったとか。境内には四脚門の表門などの文化財や枝垂れ桜があり、国指定重要文化財の絹本着色如意輪観世音像なども所蔵している。
- 「青梅駅」から徒歩14分/「宮ノ平駅」から徒歩19分
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平将門が承平年間(931~937)に創建したとされる真言宗の古刹。将門が願いを託して庭に植えたと伝わる「誓いの梅」は、熟さずに青いまま実を落とす。これが青梅の名の由来になったとか。境内には四脚門の表門などの文化財や枝垂れ桜があり、国指定重要文化財の絹本着色如意輪観世音像なども所蔵している。
天長年中(824~834)の創建。江戸時代には上野寛永寺山内にあったが、鉄道の開通によりこの地に移転した。江戸三大閻魔のひとつに数えられ「江戸名所図会」にも紹介。本堂に鎮座する巨大な木造閻魔座像の高さは約3m、「おえんまさまの寺」として広く信仰を集める寺だ。向拝に立つとセンサーで閻魔像がライトアップされる。闇に浮かび上がる閻魔像は神々しい。
東急電鉄世田谷線宮の坂駅からほど近くにある「宮の坂八幡様」で親しまれる神社。平安時代後期の創建と伝わり、祭神として応神天皇、仲哀天皇、神功皇后の3柱を祀っている。勝利祈願、開運、交通安全、安産祈願の御利益があるとされ、境内にある土俵では、秋の例祭に奉納相撲が行われて多くの人々で賑わう。
名作『大菩薩峠』の著者として知られる中里介山の菩提寺。休日には、彼の作品のファンが墓参りに訪れる姿も見られる。羽村の名主たちが首謀者となって狭山地方を襲った天明一揆を義挙とした、明治期の有志による建立の天明義挙記念碑、かつて雨乞いのときに水をかけて祈ったといわれる竜が天井に描かれた山門など、境内には貴重な史跡も多い。
境内横の広い墓所には、江戸町奉行で有名な遠山金四郎景元の墓をはじめ、幕末の江戸三大道場の一つ玄武館を開いた北辰一刀流の千葉周作の墓や明暦の大火(振袖火事)供養塔などがある。
「勝負の神」として武士の信仰を集めた神社。延暦3年(784)に征夷大将軍・坂上田村麻呂が東夷征伐の際、この地に陣を張り、八幡三神を勧請し武運長久を祈ったという伝説が残る。
目黒区碑文谷の閑静な住宅街に位置する圓融寺。平安時代の仁寿3年(853)、慈覚大師による創建と伝えられる天台宗の古刹だ。広い境内には阿弥陀堂(本堂)、釈迦堂、仁王門などが立つ。国指定重要文化財である釈迦堂は、東京23区内最古とされる木造建築で、室町時代に建てられたもの。唐様建築に和様の美を取り入れた優美な様式に、入母屋造の美しい屋根の線を見せている。荘厳で静謐な境内は、思わず手を合わせたくなるような雰囲気が漂う。
今から約1900年前、日本武尊[やまとたけるのみこと]が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社。宝永3年(1706)に徳川5代将軍綱吉が現在の社殿を奉建した。権現造りの壮麗な社殿、唐門、楼門などは重要文化財に指定されている。ツツジの名所としても名高い。
19世紀イタリアで司祭ヨハネ・ボスコにより設立されたカトリックの修道会であるサレジオ会に委託されていることから、「サレジオ教会」の別名でも知られている。緑豊かな住宅地にたたずむ昭和半ば建造の聖堂は、白を基調としたやさしい外観。鐘楼は目黒通りや環状7号線からも見える教会のシンボルになっている。聖画『江戸のサンタ・マリア』は、17世紀半ばに活躍したイタリアの宗教画家カルロ・ドルチの傑作。「悲しみの聖母」ともいわれ、聖画前で祈ることによって、多くの人が慰めと恵みを受けている。
多摩川台公園の南方、「浅間神社古墳」と呼ばれる古墳上に鎮座する古社。文治年間(1185~1190)、武蔵国に出陣した夫・源頼朝を追ってきた北条政子はこの地で身体を休めた。その折、この亀甲山[かめのこやま]で富士山を眺め、富士吉田の浅間神社に頼朝の武運長久を祈り、持仏の正観世音像を祀ったのが起こり。以来「富士浅間大菩薩」として人々に崇められてきた。朱塗りの社殿は昭和48年(1973)建築で、都内でも珍しい浅間造。眺望スペースからは多摩川の広い景色を望め、冬の澄んだ空気の日には富士山もよく見える。
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