
日光山中禅寺 立木観音堂
延暦3年(784)、日光山の開祖・勝道上人が男体山登頂後に修行の場として建立した。本堂の本尊は、男体山を極めた勝道上人が、湖上に現れた千手観音を彫り上げたものといわれ、桂の木を根がついたままの立木の状態で彫ったという十一面千手観音菩薩像・立木観音(国重要文化財)。坂東三十三観音霊場の第十八番札所でもある。また、高台に建つ「五大堂」は不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の「五大明王」が安置されている御堂。ここからの中禅寺湖の眺めはまさに絶景。
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延暦3年(784)、日光山の開祖・勝道上人が男体山登頂後に修行の場として建立した。本堂の本尊は、男体山を極めた勝道上人が、湖上に現れた千手観音を彫り上げたものといわれ、桂の木を根がついたままの立木の状態で彫ったという十一面千手観音菩薩像・立木観音(国重要文化財)。坂東三十三観音霊場の第十八番札所でもある。また、高台に建つ「五大堂」は不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の「五大明王」が安置されている御堂。ここからの中禅寺湖の眺めはまさに絶景。
天平神護2年(766)、はじめて大谷川を渡り、山内に足を踏み入れた勝道上人が立ちのぼる五色の雲を見て、この地が4神守護(青竜・朱雀・白虎・玄武)の霊地だと悟り御堂を建立。四本竜寺と名付けたと伝えられる。観音堂・三重塔(重要文化財)は江戸時代の再建で、三重塔前には勝道上人が拝したと伝わる紫雲石がある。
東照宮境内、陽明門の右手に位置。7m四方の入母屋造で内部は2室に分かれ、前が舞台、後ろが装束の間。北向きの舞台の正面は桟唐戸[さんからど]、残る三方は蔀戸[しとみど]で、周囲から舞台が見えるような造りになっている。欄間には牡丹、長押[なげし]には菊唐草、西側連子窓[れんじまど]下の胴羽目[どうばめ]には花篭の薄肉彫りが飾られ、緑青の連子窓や黒い柱、朱塗りの回縁など、色彩の対比が美しい。
東照宮の本殿・拝殿の正門にあたり、門柱には唐木の寄せ木細工で造られた昇龍と降龍が飾られている。屋根の前後は「つつが」(唐獅子の説も)、左右には鰭[ひれ]切れの龍を置き、欄間には中国の故事にちなんだ彫刻があり見事だ。
輪王寺三仏堂の後方にある朱塗りの小さな堂。毘沙門天、大黒天、弁財天の開運三天が祀られている(現在は護摩堂に安置)。
宇都宮市で生まれた江戸時代の儒学者で前方後円墳の名付け親、蒲生君平を祀る。合格祈願に訪れる受験生が多い。
楼門に「およりの鐘」という梵鐘がある。宇都宮氏が寄進したものとされ、江戸時代には、夕暮れを告げるために鳴らされたという。
東照宮境内へと続く一ノ鳥居前の石段の10段目、中央の敷石を指す。斜めに分かれた茶と青の色の違いが強まると、翌日から天気が崩れるといわれている。
標高458m羽黒山の山頂に立つ神社。康平年間(1058~65)創建の名刹で、本殿に向かう石段脇に樹齢450年を超えるという夫婦杉がある。毎年11月第3土曜には梵天祭りが行われる。若者が長さ17mの梵天を担ぎ、神社の参道を駆け上がる様は見ごたえがある。
東照宮境内上神庫[かみじんこ]の向いに立つ、神に仕える神馬をつなぐ簡素な厩舎。境内唯一の素木[しらき]造の建物。猿は病気から馬を守るという信仰から長押上には8面の猿の彫刻があり、誕生から大人に成長する猿の姿を描きながら人の生き方を表わしている。その中でも参道側左から2番目にある「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻(重要文化財)は有名で、想像の象や眠猫とともに東照宮三彫刻といわれている。
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