
今宮神社
日光二荒山[ふたらさん]神社の3神を御所森に分祀したのが始まり。鹿沼城を築城した壬生綱房[みぶつなふさ]が天文3年(1534)に現在の地に鎮座した。本殿・唐門に施された彫刻が見もの。毎年10月に行われる鹿沼秋祭りは、国指定重要無形文化財。20数台の豪華な彫刻屋台が神社の境内に繰り込み、祭りは最高潮に達し、盛り上がる。平成28年(2016)12月1日「鹿沼今宮神社祭の屋台行事」がユネスコ無形文化遺産に登録。
- 「新鹿沼駅」から徒歩18分
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日光二荒山[ふたらさん]神社の3神を御所森に分祀したのが始まり。鹿沼城を築城した壬生綱房[みぶつなふさ]が天文3年(1534)に現在の地に鎮座した。本殿・唐門に施された彫刻が見もの。毎年10月に行われる鹿沼秋祭りは、国指定重要無形文化財。20数台の豪華な彫刻屋台が神社の境内に繰り込み、祭りは最高潮に達し、盛り上がる。平成28年(2016)12月1日「鹿沼今宮神社祭の屋台行事」がユネスコ無形文化遺産に登録。
東照宮入口に立つ、高さ9mと当時日本最大の石造りの明神鳥居。京都の八坂神社、鎌倉の鶴岡八幡宮と並ぶ日本でも有数の大石鳥居だ。元和4年(1618)、黒田長政が奉納したもので、正面には後水尾天皇しん筆の「東照大権現」の勅額が掲げられている。鳥居は耐震構造になっており、柱は2本つなぎ、笠石は3つの石を組むなどの工夫が見られる。鳥居手前の10段の石段は、下段と上段の幅の差が約1m、高さも10cmほど差があるため、遠近法により奥深く見える。
東照宮境内、御水舎と経蔵の間にある、高さ6m、青銅製の鳥居。寛永の大造替の際に、家光が建立した。鳥居の下部には仏教様式に多く見られる蓮華が刻まれ、神仏習合の地、日光らしい。また、この辺りから眺める境内は、陽明門を正面に、美しく左右均等に配された見事な構図で、素晴らしい景観を生み出している。
東照宮境内、二ノ鳥居をくぐってすぐ左側に見える、極彩色の彫刻で飾られた建物。重層宝形造という二重になった屋根が特徴で、下層、上層には軒裏までかざり金具がふんだんに使われ、極彩色の彫刻が施されている。内部には、輪蔵とよばれる八角形の回転式大書架があり、天海版の一切経1456部、6323巻が納められていた。その前面には輪蔵を発明した中国人親子の木像が置かれている。その像の子供たちが笑っている姿から「笑い堂」ともよばれる。
日光山の本堂(重要文化財)にあたり、重層入母屋造、銅瓦葺、間口33.8m、奥行21.2m、伽藍全体に朱塗りを配した東日本最大の木造建造物。嘉祥元年(848)、慈覚大師により創建。元和3年(1617)、東照宮創建の際、二荒山神社の境内に移される。その後明治の神仏分離令により現在の地に移された。堂内には、日光三社権現の本地仏である千手観世音菩薩、阿弥陀如来、馬頭観世音菩薩の三仏が祀られている。
徳川3代将軍・家光公の墓所で「大猷院」とは家光公の諡名のこと。慶安4年(1651)、48歳でこの世を去った家光公の遺言を受け、4代将軍家綱公の命により、承応2年(1653)に完成した。東照宮の建築が白と金と赤を基調にしているのに対して、大猷院は金と黒と赤を基調にしている。大猷院は純粋な仏式の建物である。
輪王寺大猷院本殿の西側に位置し、透塀をはさむ形で立つ美しい門。中国・明朝の建築様式で造られたもので、その形から「竜宮門」の別名をもつ。この門の奥が家光の墓所にあたる奥の院になっている。極彩色で彩られ、白漆喰の壁に大猷院の基調となる黒と金が際だっている。
成願寺にある樹齢約500年のイチョウの巨木は市の天然記念物という名木だ。
昭和7年(1932)創設のカトリック教会。スイスのマックス・ヒンデル氏による設計。ロマネスク様式を基調にした建築が特徴で、宇都宮特産の大谷石を使った白い外壁が重厚な雰囲気を漂わせている。内部の見学(無料)も可能だが、団体は事前に予約が必要。毎日20時までライトアップ実施。国の登録有形文化財指定。
東照宮大造替の際に建てられたもので、表門をくぐり右側から正面に鉤の手状に並んでいる。東大寺の正倉院と同じ校倉造[あぜくらづくり]、朱塗りの3棟の建物だ。手前から下神庫・中神庫・上神庫とよばれ、この三神庫には千人武者行列に使う1200人分の装束が収納されている。上神庫の妻には、黒と白の「想像の象」といわれる彫刻が飾られており、東照宮三彫刻の一つ。
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