
日光東照宮 照降石
東照宮境内へと続く一ノ鳥居前の石段の10段目、中央の敷石を指す。斜めに分かれた茶と青の色の違いが強まると、翌日から天気が崩れるといわれている。
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東照宮境内へと続く一ノ鳥居前の石段の10段目、中央の敷石を指す。斜めに分かれた茶と青の色の違いが強まると、翌日から天気が崩れるといわれている。
輪王寺三仏堂の後方、相輪とうの前に立つ一対の銅燈籠。慶長9年(1604)、家康公により中国産生糸の独占輸入と販売を許可された特権的な商人集団のことを「糸割符仲間」といい、慶安元年(1648)4月、家康公の33回忌に彼らにより奉納されたのがこの糸割符燈籠。当時は商人ゆえ、東照宮神前奉納が許可されずここに据え置かれたのだが、それでも民間奉納では破格の扱いであったという。
日光山の本堂(重要文化財)にあたり、重層入母屋造、銅瓦葺、間口33.8m、奥行21.2m、伽藍全体に朱塗りを配した東日本最大の木造建造物。嘉祥元年(848)、慈覚大師により創建。元和3年(1617)、東照宮創建の際、二荒山神社の境内に移される。その後明治の神仏分離令により現在の地に移された。堂内には、日光三社権現の本地仏である千手観世音菩薩、阿弥陀如来、馬頭観世音菩薩の三仏が祀られている。
東照宮内、拝殿の前に立つ本社の正門である唐門から、左右に延びた透かし彫りを施した塀(国宝)。黒漆に金の装飾金具を施した、黒を基調にした気品ある優美なたたずまいと、平和を象徴する野鳥や水鳥の透かし彫り彫刻がみられる。
東照宮入口に立つ一ノ鳥居をくぐったすぐ左手に立つ、高さ約36mの朱塗りの塔。慶安3年(1650)、酒井忠勝公から奉納されたが、落雷により焼失。文政元年(1818)、再び酒井家の手によって再建され現在の姿となった。各屋根の二重垂木は4層までがまっすぐな和様、5層目のみ扇形に広がる唐様になっている。初層に施された十二支の彫刻は必見。
二荒山神社神苑内(有料)にある、大谷川[だいやがわ]の巨石や銘石で組まれた霊泉。本殿後ろの恒霊山[こうれいざん]の洞窟から湧き出る、眼病に効くという「薬師の水」と、滝尾神社の境内、天狗沢のほとりに湧き出る名水「酒の泉」が集まる。すぐそばには、お休み処あずまやがあり、霊泉の水で作った甘酒300円や、コーヒー、抹茶400円でひと息つくのもよい。霊水持ち帰り用のポリ容器300円も販売されている。
二荒山神社中宮祠の境内にある宝物館。日本一の大太刀の袮々切丸[ねねきりまる]をはじめ、国宝を含む貴重な刀剣や男体山頂祭祀遺跡出土品、南北朝時代の神輿、前田青邨作の大壁画「山霊感応」などを展示している。
宇都宮市の郊外、鬼怒川の近くにある鎌倉時代末期創建の臨済宗の古刹。かつては七堂伽藍を備えた広大な寺領を誇った寺院で、現在は、本堂や訶利帝母[かりていぼ](鬼子母神)座像を安置する訶利帝母堂のほか、境内に約200本ほどの梅の木があり、梅の名所としても知られている。墓地には寺院西方の飛山城を築いた芳賀氏(清原氏)の累代の墓碑があり、飛山城の支城としての役割から空堀や土塁を備え、その一部が残っている。
東照宮境内、表門をくぐると左手に、神馬をつなぐ厩[うまや]・神厩舎[しんきゅうしゃ](重要文化財)が立つ。その神厩舎の長押[なげし]上に施された8態の猿の彫刻は、子供から大人に成長する猿の姿が描かれ、人の一生を物語っている。なかでも子供時代を表した三猿の彫刻が有名。悪いことは、見ざる・言わざる・聞かざるという意味が込められている。
東照宮最大の建物で別名、薬師堂といわれている。寛永の大造替のときに建てられ、単層入母屋造、高さ15m、正面20.8m、側面13m、総漆塗極彩色の華麗な建築である。当時、徳川家康は薬師如来の化身であると考えられたといわれ、内部には東照権現の本地仏、薬師如来を安置している。また、天井に描かれている鳴龍も有名。本地堂は、昭和36年(1961)に焼損しており、現在の建物は昭和38~43年(1963~68)に再建されたものである。
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