太平寺
坂上田村麻呂が蝦夷討伐の際に戦勝を祈願し、千手観音を安置。その後嘉祥元年(848)に慈覚大師が開創したという古刹。境内には風神・雷神像が並び、川口松太郎の小説で知られる蛇姫様の墓もある。
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坂上田村麻呂が蝦夷討伐の際に戦勝を祈願し、千手観音を安置。その後嘉祥元年(848)に慈覚大師が開創したという古刹。境内には風神・雷神像が並び、川口松太郎の小説で知られる蛇姫様の墓もある。
東照宮大造替の際に建てられたもので、表門をくぐり右側から正面に鉤の手状に並んでいる。東大寺の正倉院と同じ校倉造[あぜくらづくり]、朱塗りの3棟の建物だ。手前から下神庫・中神庫・上神庫とよばれ、この三神庫には千人武者行列に使う1200人分の装束が収納されている。上神庫の妻には、黒と白の「想像の象」といわれる彫刻が飾られており、東照宮三彫刻の一つ。
東照宮には121基の燈籠があるが、中でも有名な燈籠がこれ。伊達政宗公がポルトガルから取り寄せた、南蛮鉄で鋳造させたといわれる2基の燈籠。経蔵の前、陽明門へ向かう石段の右横に位置し、反対側には薩摩藩主・島津家久公が奉納した唐銅[からがね]燈籠が立っている。ちょうど陽明門を南北の大藩が固める形になり、当時の徳川幕府の権力の強大さがうかがえる。
東照宮境内に立つ、家康公の守り本尊の薬師如来を祭る本地堂[ほんじどう](重要文化財)。その内陣の天井に描かれた龍が、有名な鳴龍だ。ちょうど龍の頭の真下で拍子木を打つと、「きるるるー」と残響音が響き渡り、龍の鳴声のように聞こえる仕組みになっている。
二荒山神社の拝殿の西側、神輿舎[しんよしゃ]の左隣にある小さな神社。本殿は間口、奥行きともに1.8mと質素なもので、正面が入母屋造、背面が切妻造、銅瓦葺き。嘉祥元年(848)に慈覚大師[じかくだいし]によって建立されたという。
細やかな装飾が美しい、輪王寺大猷院の拝殿前に立つ霊廟の正門。大猷院の中では最小だが、柱に金箔を施し、きらびやか。左右に延びる透塀は精巧な細工が施されており、優美で繊細な印象を与える。
輪王寺大猷院本殿の西側に位置し、透塀をはさむ形で立つ美しい門。中国・明朝の建築様式で造られたもので、その形から「竜宮門」の別名をもつ。この門の奥が家光の墓所にあたる奥の院になっている。極彩色で彩られ、白漆喰の壁に大猷院の基調となる黒と金が際だっている。
延暦3年(784)、日光山の開祖・勝道上人が男体山登頂後に修行の場として建立した。本堂の本尊は、男体山を極めた勝道上人が、湖上に現れた千手観音を彫り上げたものといわれ、桂の木を根がついたままの立木の状態で彫ったという十一面千手観音菩薩像・立木観音(国重要文化財)。坂東三十三観音霊場の第十八番札所でもある。また、高台に建つ「五大堂」は不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の「五大明王」が安置されている御堂。ここからの中禅寺湖の眺めはまさに絶景。
湯西川で温泉が発見された天正年間(1573~1592)、湯の守神として出羽三山の羽黒山から土を移して建てられた湯西川の総鎮社。6月始めに開催される「平家大祭」の出陣式が行われるほか、8月中旬に開催される例祭の湯殿山大祭礼では、集落挙げて賑わう。
東照宮最大の建物で別名、薬師堂といわれている。寛永の大造替のときに建てられ、単層入母屋造、高さ15m、正面20.8m、側面13m、総漆塗極彩色の華麗な建築である。当時、徳川家康は薬師如来の化身であると考えられたといわれ、内部には東照権現の本地仏、薬師如来を安置している。また、天井に描かれている鳴龍も有名。本地堂は、昭和36年(1961)に焼損しており、現在の建物は昭和38~43年(1963~68)に再建されたものである。
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