
日光東照宮 祈祷殿
東照宮境内の神楽殿の向かい側、廻廊に沿って立つ。かつては護摩堂とよばれ、神仏分離令以前は日光門主の輪王寺宮が天下泰平祈願の護摩修法を行っていたが、現在は祈祷や神前結婚式を行う場所となっている。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
東照宮境内の神楽殿の向かい側、廻廊に沿って立つ。かつては護摩堂とよばれ、神仏分離令以前は日光門主の輪王寺宮が天下泰平祈願の護摩修法を行っていたが、現在は祈祷や神前結婚式を行う場所となっている。
東照宮境内、眠猫のある東回廊裏手にあり、奥社の入口にあたる平入唐門。かつては将軍のみが通る不開門であった。
延暦3年(784)、勝道上人が創建。二荒山大神を祭る。男体山山頂にある奥宮と山内にある本社の中間に位置するので、中宮祠の名前が付いた。本殿や唐門のほか数多くの建造物があり、本殿右側には山頂参拝への登拝門がある。山頂奥宮までの登山(4月25日~11月11日の間のみ可)は往復約8時間。
慈光寺のヒガンザクラは見ごたえアリ。
東照宮境内、陽明門の前に並び立つ櫓造の2棟の建物で、寛永の大造替の時に建てられた。左側が太鼓を置く鼓楼、右側が鐘を吊るす鐘楼で、江戸時代には、祭の始めに太鼓を、終わりには鐘を打っていたという。また、鐘楼の近くには、オランダから献上されたと伝えられる蓮燈籠[はすどうろう]と朝鮮から奉納されたという朝鮮鐘、鼓楼付近にもオランダから贈られた回転燈籠と釣燈籠があり、いずれも当時の各国との友好親善の象徴となっている。
東照宮境内、表門をくぐると左手に、神馬をつなぐ厩[うまや]・神厩舎[しんきゅうしゃ](重要文化財)が立つ。その神厩舎の長押[なげし]上に施された8態の猿の彫刻は、子供から大人に成長する猿の姿が描かれ、人の一生を物語っている。なかでも子供時代を表した三猿の彫刻が有名。悪いことは、見ざる・言わざる・聞かざるという意味が込められている。
東照宮の一ノ鳥居をくぐり抜け、五重塔と表門に囲まれた大きな正方形の広場。表門を支える巨石を重ねた石垣があり、阿房丸とよばれる巨大な一枚岩は高さ3.25m・幅6.3m。圧倒される迫力がある。休憩処は、日光山内を歩き回った後のひと息にも好適。ここから二荒山神社へ向かう上新道[かみしんみち]が延びている。実際に1000人が立てる広さがある、一ノ鳥居前の石段の部分を千人枡形とする説もある。
輪王寺大猷院の仁王門をくぐり、石畳の広場の右側にある水舎。現在はほとんど消えているが天井には狩野永真安信[かのうえいしんやすのぶ]による龍が描かれている。その龍が水盤に映し出されることから、「水鏡の竜」ともよばれる。
東照宮境内、坂下門をくぐり、杉の老木が茂る荘厳な雰囲気の中、207段の急な石段を上ると、鳥居が見える。ここからが奥社で、黒漆塗りの拝殿の後ろに、徳川家康が眠る高さ5mの金、銀、銅を合金した唐銅製の宝塔が安置されている。
東照宮最大の建物で別名、薬師堂といわれている。寛永の大造替のときに建てられ、単層入母屋造、高さ15m、正面20.8m、側面13m、総漆塗極彩色の華麗な建築である。当時、徳川家康は薬師如来の化身であると考えられたといわれ、内部には東照権現の本地仏、薬師如来を安置している。また、天井に描かれている鳴龍も有名。本地堂は、昭和36年(1961)に焼損しており、現在の建物は昭和38~43年(1963~68)に再建されたものである。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。