
西明寺
天平9年(737)、行基によって創建された古刹。坂東33カ所第20番の札所。天文7年(1538)に建立された三重塔(国の重要文化財)は、和様・唐様・折衷様の3様式。純唐様式の楼門、笑う閻魔像、本尊の十一面観世音菩薩像(非公開)なども安置されている。
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天平9年(737)、行基によって創建された古刹。坂東33カ所第20番の札所。天文7年(1538)に建立された三重塔(国の重要文化財)は、和様・唐様・折衷様の3様式。純唐様式の楼門、笑う閻魔像、本尊の十一面観世音菩薩像(非公開)なども安置されている。
平安時代末、真言宗の寺として創建。後に荒廃し、室町時代に曹洞宗の寺として再興された。寺には七不思議の伝説が語り継がれ、寺建立の際、禅師が地に刺した杖から藤が成長したという「根なし藤」の伝説は、上田秋成作『雨月物語』の「青頭巾」にも記載。伝説の題材となった、藤の古木や井戸などが今も残る。ボランティアによる無料観光案内あり(電話:0282-43-9213、問合先:栃木市観光協会大平支部)。
鎌倉時代初期の建久7年(1196)、足利義兼[あしかがよしかね]により建立された足利氏の氏寺。大日如来を本尊とし、山門、鐘楼(重要文化財)、本堂(国宝)、経堂(重要文化財)などの七堂伽藍を備えた東国の密教の代表的な寺。境内は足利氏宅跡(国史跡、名城100選)でもあり、周囲を水堀と土塁で囲んでいる。
宝永4年(1707)建立の本殿と、元禄元年(1688)建立の拝殿・幣殿は国指定重要文化財で、極彩色の彫刻が施されている。境内には金色の鯉を抱く高さ20mの大きなえびす様が鎮座する大前恵比寿神社もあり、金運招福や商売繁盛のご利益があるとか。「宝くじがあたる神社」としても有名で、全国から参拝客が訪れる。
屋島、壇ノ浦の戦いで源氏に敗れた平家の落人が逃げ延び、隠れ住んだ集落とされる湯西川。この集落には、人目を避けて暮らしていた落人たちの独自の習慣が今なお残っている。集落を見渡す高台に位置する慈光寺は、平家落人の菩提寺と伝わり、子宝を授かろうと落人たちが参拝しに来たとの逸話も残っている。
親鸞[しんらん]開創の寺で、本尊は親鸞が信濃善光寺から迎えた秘仏の一光三尊仏像。親鸞を祀る御影堂(重要文化財)、如来堂(重要文化財)などがある。
藤原秀郷[ふじわらのひでさと]が京都の八坂神社から御分霊を勧請し、天慶3年(940)に創建したという古社。徳川家康公が関ケ原の戦勝祈願をして、のちに社地や朱神輿[あかみこし]が奉納された神社。毎年7月の祇園祭には、重さ2トンの大神輿が繰り出される。
那須で温泉が発見された、奈良時代の創建。源平の合戦の折、那須与一が屋島で扇の的を射る際に命中を祈願したという伝えが残り、ここを訪れた松尾芭蕉が残した句碑もある。
その昔、黒羽藩[くろばねはん]の姫が食事が取れなくなる奇病にかかった際、祈願し回復したという言い伝えから名付けられた。日蓮上人が九尾の狐の妖力封殺を念じ、二つに割ったとされる数珠割り石や、南無妙法蓮華経を弟子が爪で刻んだという経題石が境内に残る。
大田原市黒羽地区との境近く、杉並木の中に立つ荘厳な神社。仁徳天皇の時代(4世紀)の創建と伝わる。赤い楼門が印象的で、坂上田村麻呂や源義家、那須与一も戦勝祈願に訪れたといわれる。社宝の太刀は与一が奉納したもの。毎年9月、敬老の日の例大祭では、弓の名手と知られる与一にちなんで流鏑馬が行われる。
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