世田谷区立岡本公園民家園
区内より移築した区指定有形文化財の旧長崎家住宅主屋と旧浦野家住宅土蔵などを展示している施設。江戸時代後期の姿に復原した旧長崎家住宅主屋では、土間にわらじや臼などの民具を展示しており、囲炉裏では火をたき、かつての暮らしの様子を伺うことができる。園内は主屋と土蔵の他に、畑や竹林などによって農家の屋敷構えを再現している。また、かつての暮らしで行われていた年中行事の再現、その他体験行事等を開催している。所要30分。
- 「二子玉川駅」から徒歩23分
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区内より移築した区指定有形文化財の旧長崎家住宅主屋と旧浦野家住宅土蔵などを展示している施設。江戸時代後期の姿に復原した旧長崎家住宅主屋では、土間にわらじや臼などの民具を展示しており、囲炉裏では火をたき、かつての暮らしの様子を伺うことができる。園内は主屋と土蔵の他に、畑や竹林などによって農家の屋敷構えを再現している。また、かつての暮らしで行われていた年中行事の再現、その他体験行事等を開催している。所要30分。
玉川上水の取水口。多摩川からの水をせき止め、上水に取り込む水の量を調節する役割を持つ。敷地内の公園には工事を指導した玉川兄弟の銅像が立ち、近くには上水管理のために置かれた陣屋の跡、水神を祭った玉川水神社などがある。周辺は、水遊びのできる河原になっている。
保元元年(1156)、保元の乱に敗れ、大島に流刑された源為朝の住居跡といわれるところ。大島を本拠に近隣の島々まで勢力を広げた。島民からは赤門で親しまれ、朱塗りの門や戦に備えた物見台、為朝神社、海に通じる抜け穴などが今も残されている。
大毎オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)のホームグラウンド。下町の低層住宅街に造られた、当時最新の設備を持った巨大なスタジアムは、ナイター照明の美しさから「光の球場」とも呼ばれた。球場は昭和37年(1967)5月に竣工したが、オーナー企業の経営不振などから昭和47年(1972)に閉鎖、昭和52年(1977)には解体された。現在は野球グラウンドや体育館、プールなどのある総合運動施設で区民のスポーツの殿堂として親しまれている。
明治の初めにガス灯がともって以来、人々の生活とともにあった都市ガス事業の歴史を学ぶことができる博物館。渋沢栄一らに始まった日本のガス事業の150年にわたる歴史を、ガス灯やガス器具、様々な映像資料などで紹介する。明治時代に建てられた東京ガス社屋を移設・復元した赤レンガの洋館と庭園を、国内外から移築されたガス灯が照らし出す。多数所蔵する明治期社会の様子を伝える多色刷り版画「錦絵」の企画展や様々なイベント・ワークショップなども開催している。令和4年(2022)3月に「食文化ミュージアム」として文化庁から認定された。
羽村駅に近い五ノ神社の境内にある古い井戸。「まいまいず」とはカタツムリのことで、その名のとおり地面から渦巻き状に掘られている。大同年間(806~810)のものといわれ、当時は垂直に掘る技術が未熟だったためにこの形になった。直径約16m、深さ約7.4m。昭和37年(1962)まで利用されていた。
青梅街道沿いに残る、江戸後期建築の土蔵造の店蔵。街道に面した狭い間口いっぱいに土間をもつ前土間形式で、梁や柱には奥多摩のシオジ材が使われた。当時有数の豪商だった稲葉家は、材木問屋や青梅縞の仲買問屋を営み、明治後期まで商売を続けた。
寛永7年(1630)に林羅山が上野忍ケ岡に建てた家塾が始まりで、現在は国の史跡に指定。元禄3年(1690)、徳川5代将軍綱吉によって湯島に創建された。寛政9年(1797)には、幕府直轄の学校「昌平坂[しょうへいざか]学問所」が併設された。現在の大成殿は、昭和10年(1935)に再建されたもので当時の規模を再現している。
平成6年(1994)に発見された約9万枚の中国からの輸入銭貨で、室町時代に埋められたと推定される。四銖半両(前漢・紀元前175年ごろ)から永楽通宝(明・1408年ごろ)までの97種類からなり、同時に発見された収納容器は直径53cm、高さ56cmの檜製の桶で、全国的にも希少。現在は考古資料室で銭塊のレプリカと桶の一部を展示。
釜の淵公園内にある、19世紀初頭のものと推定される農家。市内北部の山あいに残った住宅を移築したもので、広間形とよばれる部屋の間取りが特徴。杉皮と茅を混ぜて葺いた、山村特有のトラ葺屋根が目を引く。
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