
波浮港見晴台
波浮港西岸の高台にある見晴らし台は、巾着型をした波浮港のほぼ全景を見渡すことができる。歌詞に波浮港が登場する、都はるみのヒット曲『アンコ椿は恋の花』の歌碑が立つ。
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波浮港西岸の高台にある見晴らし台は、巾着型をした波浮港のほぼ全景を見渡すことができる。歌詞に波浮港が登場する、都はるみのヒット曲『アンコ椿は恋の花』の歌碑が立つ。
上陸して最初に目にする、船着場のすぐ近くに立つモニュメント。新島は、9割近くがコーガ石とよばれる特殊な軽石でできている世界でも珍しい島だが、塔はそのコーガ石で造られている。上まで登るとかなり高いので、帰りの船を待つ間に展望を楽しんだり、旅の記念写真を撮るのがおすすめだ。風が強いので、帽子などが飛ばされないよう注意しよう。
波浮港には現在も古い木造家屋の町並みがわずかに残り、港東側の界隈を「踊り子の里」と呼んでいる。丘中腹の旧港屋旅館は、資料館として当時のままの姿で保存・公開。『伊豆の踊り子』の旅芸人一座が芸を披露したことで知られ、華やかな往時の宴の様子を人形を使い再現している。千鳥破風入母屋造り、木造3階建の建物は風の強い大島では珍しい建築物。背後の丘上にある明治時代の網元の屋敷跡・旧甚の丸邸は石造り2階建て。なまこ壁の外壁や、島外から取り寄せた木材で組んだ梁や柱、大谷石の外塀など、豪勢な暮らしぶりを垣間見れる。
江戸時代、お船預りを務めていた服部家の屋敷跡。「お船預り」とは、米に代わる年貢として黄八丈を納めるための御用船の船頭のことで、島では代官に次いで重要な役目だったという。屋敷の建物は残っていないが、流人の近藤富蔵が築いた二重の玉石垣や樹齢700年ともいわれる見事な蘇鉄から当時の豪勢さが偲ばれる。流人のやるせない心情を太鼓の音に託した八丈太鼓と、地元に伝わる樫立踊りを上演(前日までに要予約。受付:8~17時)。スタッフによる黄八丈オリジナル小物の販売、パッションフルーツの生ジュース600円が飲める喫茶がある。
天明5年(1785)に起きた天明の大噴火で、生き残った島民全員が八丈での避難生活を余儀なくされた時に、困難な生活を強いられた人々をまとめあげ、50年後に旧島民の帰島を果たした佐々木次郎太夫の屋敷跡。数年前まで建物が残っていたが、台風で崩壊してしまい、現在は玉石垣が残るだけだが、うっそうとしたソテツの大木や整然と積まれた石垣に往時を偲ばれる。
玉石垣とは、荒波に削られ角のとれた丸い石だけを使い、積み上げられた石垣のこと。島内随所で見られるが、かつて島庁がおかれた大里地区の玉石垣は規模・保存状態ともに最良のもので、観光ポスターなどにも度々登場。1日の糧を得るため、流人たちが海岸からひとつひとつ運び、丹念に積み上げて築いたものといわれ、景観の美しさだけでなく八丈の歴史の上でも貴重な資料となっている。
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