波浮港見晴台
波浮港西岸の高台にある見晴らし台は、巾着型をした波浮港のほぼ全景を見渡すことができる。歌詞に波浮港が登場する、都はるみのヒット曲『アンコ椿は恋の花』の歌碑が立つ。
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波浮港西岸の高台にある見晴らし台は、巾着型をした波浮港のほぼ全景を見渡すことができる。歌詞に波浮港が登場する、都はるみのヒット曲『アンコ椿は恋の花』の歌碑が立つ。
近代建築の巨匠の一人、フランク・ロイド・ライトと、弟子の遠藤新が設計した、大正10年(1921)創立の女学校。使いながら重要文化財を維持保存する“動態保存”のモデルとして一般公開されていて、幾何学的な建具装飾や、水平線を強調した立面など、フランク・ロイド・ライト特有の建築美を間近で見ることができる。喫茶付見学チケットで入場すれば、かつての食堂でドリンクと焼き菓子を楽しめる。
アール・デコ様式が美しい旧朝香宮邸を活用した東京都庭園美術館。国指定重要文化財の邸宅空間の中で行われる展覧会は、展示作品のみならず、見事な室内装飾も楽しめる。また、平成26年(2014)にはホワイトキューブのギャラリーを備えた新館が完成し、新たな創造空間が加わった。都心にあって緑豊かな庭園には、宮邸時代の面影を残す芝庭と日本庭園、そして西洋庭園の3つのエリアがあり、異なった趣で四季折々の景観を見せてくれる。庭園だけの入場も可能。
世田谷城は、貞治5年(1366)、奥州吉良氏が築城したのが始まり。代々居城として栄えたが、天正18年(1590)、豊臣秀吉が小田原の北条氏を滅ぼしたとき、北条氏と親戚関係にあった吉良氏も運命をともにしたため廃城となった。現在は、昔の面影を残す土塁や空堀の一部が残っており、東京都指定文化財にも登録されている。昭和15年(1940)には、付近一帯が歴史公園として整備され、世田谷城阯公園として開園。樹木に覆われた自然豊かな公園として開放されている。
鎌倉時代から室町時代に武士階級が使った屋敷跡。崖面を切り崩す一大土木工事で、幅約50m、奥行き15m程度の平坦面を造成した場所に、12m×6m、深さ約1mの大型竪穴状遺構と、堀立柱建物跡が発見された。現在はガラス繊維補強セメントの被膜で遺跡全体を造形保存され、発掘当時の臨場感を体感できる。
緑の芝生が広がり、心地よさ満点のこちらの公園を中心に、約700m四方ほどの一帯から、多くの遺跡が発掘された。特に古墳時代のものが多く、園内では当時の竪穴式住居や古墳を再現、展示している。伊興遺跡におけるこれまでの発掘状況を伝える解説や、古墳時代の伊興周辺をイメージしたジオラマ、実際に出土した土器を復元して紹介する展示館もあり、興味津々。いにしえに想いを馳せてみては。
都立小金井公園内に位置し、江戸東京博物館の分館として設けられた野外博物館。江戸東京の歴史を物語る歴史的建造物を都内各地から移築・復元している。交番、銭湯、商家などの建物が30棟建ち並ぶ。
都電に沿って流れる神田川にかかる橋。橋のそばには、江戸城を築いた太田道灌の「山吹の里」の逸話を伝える碑と説明板が立つ。
民芸運動の拠点として、柳宗悦[やなぎむねよし]らが昭和11年(1936)に開館。国内外の陶磁器、織物、染物、木漆工、絵画、竹工、金工、ガラスなど、約1万7000点を収蔵。3カ月おきに常時500点を展示する。日本民家の伝統を生かした蔵づくり風の建物は令和3年(2021)に東京都の指定有形文化財に登録された。栃木から移築された柳邸の一部、石屋根の長屋門は一見の価値がある。中でも陶磁器の「唐津鉄絵草文壷」は、国の重要文化財に指定されている逸品。所要40分。
慶長9年(1604)に徳川幕府が江戸から四方に向かう五街道を整備したことで宿駅制度も整い、日本橋からの路程標識のために一里塚を1里間隔で道の両側に築き、榎を植え、1里を36町(約4km)と定めた。木曽の一里塚もその一つで、当時は道の両側に立っていたが、現在は西側の塚だけが残り、塚の上には武州御嶽山の大口真神の小祠が立っている。
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