山宮浅間神社
山宮浅間神社は、富士山本宮浅間大社(以下「浅間大社」と略記)の祭神である富士神が最初に祀られた場所と言われ、浅間神として現在の浅間大社に遷されることで「山宮」となった。全国の浅間大社の中でも最も古い神社とされる。境内には社殿がなく、富士山を直接拝むための遥拝所があり、古代からの富士山祭祀の形が今も息づいている。土・日曜、祝日には山宮浅間神社の案内所が開所され、富士山世界遺産ガイドが常駐。世界遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉-」の構成資産の1つ。
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山宮浅間神社は、富士山本宮浅間大社(以下「浅間大社」と略記)の祭神である富士神が最初に祀られた場所と言われ、浅間神として現在の浅間大社に遷されることで「山宮」となった。全国の浅間大社の中でも最も古い神社とされる。境内には社殿がなく、富士山を直接拝むための遥拝所があり、古代からの富士山祭祀の形が今も息づいている。土・日曜、祝日には山宮浅間神社の案内所が開所され、富士山世界遺産ガイドが常駐。世界遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉-」の構成資産の1つ。
真言宗の古刹で、山号は走湯山。明治元年(1868)まで伊豆山神社の境内の続きにあった。かつては真言宗・伊豆の総元締で、関東一円に大きな勢力を持っていたが、神仏離令により取り壊され、神社西側の現在地に移された。
天平5年(733)創建の古社。毎年10月23日の大祭に三番叟が奉納される。これは見高村出身の歌舞伎役者・四代目市川小団次が、嘉永3年(1850)に村の青年に教えたといわれる伝統のある行事。奉納される神楽殿には回り舞台があり、江戸歌舞伎に使われた引幕が残されている。
伊豆最古、2400年の歴史をもつ神社。御祭神は伊古奈比め命(「め」の字は口+羊)、三嶋大明神、見目、若宮、剣の御子の神様。伊豆7島を創られたと伝えられる。境内にそびえる推定樹齢2000年の御神木と、枯れてから1300年の御神木は圧巻。神社裏白浜海岸にある大明神岩の赤鳥居は有名。
「山神社」とも呼ばれる神社で、木こりたちの守り神として、また病気を治す神でも親しまれてきた鎌倉時代創建の古社。森の中に立つ社殿の横手には大小のハサミが並んでいる。ハサミは疫病を断ち切る意味をもつもので、治癒したお礼に信者たちが奉納したもの。社務所には神場地区の人々が交代で詰め神社を守っている。なお、神社社務所に電話の設置がないため、問合わせは御殿場市観光協会へ。
村山浅間神社は明治時代の初めまで京都の聖護院を本寺とする修験道の拠点で「富士山興法寺」と称し、富士修験の中心地であった。戦国時代には、時の権力者である今川氏の庇護を受け、数多くの先達や道者(登山者)が集い、富士登山の中心地として栄えた。明治時代には、神仏分離法を受けて興法寺は廃され、大日堂と浅間神社は分離された。土・日曜、祝日には村山浅間神社案内所が開所され、富士山世界遺産ガイドが常駐。世界遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の1つ。
室町時代の康正元年(1455)、勝間田[かつまた]氏の菩提寺として創建された古刹。11月26日には開山忌が行われる。
富士山須山口登山道の起点となる神社。樹齢400~500年といわれるスギの巨木に覆われた境内は神聖な雰囲気に包まれ、縁結びや安産、子宝の神といわれる「木花開耶姫(このはなさくやひめ)」を祀る。境内にはハート型(猪目模様)の小窓の石灯篭がある。小窓から覗く、ハート型に縁どられた拝殿や、手水舎に映る逆さ浅間神社はSNS話題のスポット。
室町時代に創建された浄土宗の古刹。境内には藤棚があり、初夏には薄紫の花房が美しい。また、安政元年(1854)の大津波による犠牲者を悼む津なみ塚が立つ。阿弥陀堂には、平安末期の丈六の阿弥陀仏坐像が安置されている。お吉の恋人だった大工鶴松の墓があることでも有名。
入間の高台にある寺。伊豆国七福神の霊場でもあり、子育布袋尊天[こそだてほていそんてん]を祭る。墓地にあるニール号遭難者招魂碑は、明治7年(1874)に入間沖で坐礁、沈没したフランスの郵便船ニール号の船員を弔った慰霊塔。
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