
ひょうたん塚公園
ひょうたん塚古墳を中心に整備されている公園。古墳は古墳時代後期(6世紀初頃)の前方後円墳で、当時いほはら国の有力者の墓といわれている。住宅街の高台にあり、遊具などがある。
- 「草薙(静岡鉄道)駅」から徒歩8分/「草薙(JR)駅」から徒歩10分
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ひょうたん塚古墳を中心に整備されている公園。古墳は古墳時代後期(6世紀初頃)の前方後円墳で、当時いほはら国の有力者の墓といわれている。住宅街の高台にあり、遊具などがある。
東海道岡部宿の東の入口に位置する大旅籠柏屋は江戸時代の天保7年(1836)に建てられた旅籠で、国の登録有形文化財及び日本遺産構成文化財となっている。現在は歴史資料館として整備されており、帳場や台所・客間などが当時の雰囲気そのままに再現され、館内には江戸時代~昭和初期の品々や、岡部宿の歴史などが展示。また物産館かしばや、ギャラリーなまこ壁、蔵cafe&dining coconomiが併設されている。
昭和52年(1977)に御子ケ谷[みこがや]で発見された、奈良・平安時代の駿河国志太郡衙[するがのくにしだぐんが](役所)の跡。一角には、志太郡衙資料館(料金:入場無料、時間:9~17時)がある。
西郷吉之助(隆盛)との交渉のため駿府(静岡)に向かう途中、官軍に追われた幕臣・山岡鉄舟が逃げ込んだ茶屋兼網元。鉄舟は主人の計らいで海路脱出、清水次郎長の助けを借りて交渉は成功。結果、江戸城無血開城となった。
村山浅間神社は明治時代の初めまで京都の聖護院を本寺とする修験道の拠点で「富士山興法寺」と称し、富士修験の中心地であった。戦国時代には、時の権力者である今川氏の庇護を受け、数多くの先達や道者(登山者)が集い、富士登山の中心地として栄えた。明治時代には、神仏分離法を受けて興法寺は廃され、大日堂と浅間神社は分離された。土・日曜、祝日には村山浅間神社案内所が開所され、富士山世界遺産ガイドが常駐。世界遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の1つ。
山越えの遊歩道で、入口は「駿府の工房 匠宿」側と誓願寺側の2カ所。ほぼ中心に丸子城跡があり、散策するのにちょうどいい。丸子城は今川氏親の時代に駿府防衛のための山城として建てられたといわれ、今でも三日月堀や曲輪、本丸を囲む土塁などが残る。丸子城跡を中心に整備されたコースはバス停:吐月峰駿府匠宿入口からスタート。「駿府の工房 匠宿」まで徒歩5分、さらに吐月峰柴屋寺まで5分、丸子の里自然遊歩道に入り20分で丸子城跡へ。丸子城跡から誓願寺まで10分、誓願寺からバス停:二軒家大鈩不動尊入口まで5分。全長1.1km、所要1時間。
昭和18年(1943)に発掘された、弥生時代後期(1~3世紀)の集落跡。住居倉庫や水路、水田、木製農具なども多数発見され、当時の生活解明に大きく寄与した。一帯は遺跡公園として整備。復元された住居や穀物を貯蔵する高床倉庫、水田跡などが見られる。平成28年(2016)、出土遺物775点が重要文化財に指定された(一部を併設の博物館に展示)。所要1時間。
山宮浅間神社は、富士山本宮浅間大社(以下「浅間大社」と略記)の祭神である富士神が最初に祀られた場所と言われ、浅間神として現在の浅間大社に遷されることで「山宮」となった。全国の浅間大社の中でも最も古い神社とされる。境内には社殿がなく、富士山を直接拝むための遥拝所があり、古代からの富士山祭祀の形が今も息づいている。土・日曜、祝日には山宮浅間神社の案内所が開所され、富士山世界遺産ガイドが常駐。世界遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉-」の構成資産の1つ。
主に重臣たちの出入口として利用された東御門は、要所に石落とし、鉄砲狭間、矢狭間などを備えた門。一方の巽櫓は武器の保管などの役目も担った三層二重の隅櫓。いずれも戦闘の拠点となる実践的な建物で、平成の時代に復元されたもの。
文政3年(1820)清水次郎長が生まれた、次郎長通りにある生家。次郎長の写真や使った道具類などが展示され、200年前の湊に生きた庶民の暮らしが分かる。平成30年(2018)国の登録有形文化財に登録。次郎長にちなんだみやげも販売。所要20分。
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