
蒲原城址
室町時代前期に築かれた山城で、戦国時代には難攻不落の城として知れわたっていた。今川氏の重要な支城だったが、永禄12年(1569)12月6日、武田信玄との戦で落城。現在は善福寺曲輪などが復元され、春の桜が見所。
- 「新蒲原駅」から徒歩13分
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室町時代前期に築かれた山城で、戦国時代には難攻不落の城として知れわたっていた。今川氏の重要な支城だったが、永禄12年(1569)12月6日、武田信玄との戦で落城。現在は善福寺曲輪などが復元され、春の桜が見所。
西郷吉之助(隆盛)との交渉のため駿府(静岡)に向かう途中、官軍に追われた幕臣・山岡鉄舟が逃げ込んだ茶屋兼網元。鉄舟は主人の計らいで海路脱出、清水次郎長の助けを借りて交渉は成功。結果、江戸城無血開城となった。
江戸幕府から韮山の世襲代官に任命されていた江川家の邸宅。坦庵[たんなん]公と呼ばれ、兵糧用のパンを初めて焼いたり、反射炉の起工に力を注いだ江川太郎左衛門英龍[えがわたろうざえもんひでたつ]も住んでいた。母屋(重要文化財)は江戸時代の代官屋敷をそのままの形で今に伝える。太い梁を中心に細い木を格子状に組んだ天井がみどころ。建築学的に貴重な遺構で、優れた耐震構造をもつ。天保14年(1843)英龍が開校した「韮山塾の間(部屋)」も見学できる。テレビドラマの撮影でも使用されたことがある。所要30分。
指月殿の裏山に広がる自然公園。修善寺の各所に設置された桂谷八十八カ所のうち、36番~44番までの札所が園内に点在する。桂谷八十八カ所とは、28kmの行程で四国霊場巡り同様の功徳が得られるとしたもの。毎年11月7~9日に巡礼が行なわれている。指月殿から急な山道を登ると、岩を削って安置した岩谷観音、山頂には源義経像、少し下ったところに鹿山の散策を好んだ吉田絃二郎の妻、明枝の句碑がある。
勝海舟が宿泊した船宿。現在は看板が立っているのみ。
様々なレクリエーションを楽しめる芝生の広場や、2種類の遊具広場を整備。公園北側の柏谷横穴群は、一部国指定史跡。
山宮浅間神社は、富士山本宮浅間大社(以下「浅間大社」と略記)の祭神である富士神が最初に祀られた場所と言われ、浅間神として現在の浅間大社に遷されることで「山宮」となった。全国の浅間大社の中でも最も古い神社とされる。境内には社殿がなく、富士山を直接拝むための遥拝所があり、古代からの富士山祭祀の形が今も息づいている。土・日曜、祝日には山宮浅間神社の案内所が開所され、富士山世界遺産ガイドが常駐。世界遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉-」の構成資産の1つ。
下田の賑わいから離れた、静かな山間にある蓮台寺温泉に、幕末の偉人・吉田松陰ゆかりの建物が残っている。下田の奥座敷ともいわれ、稲生沢川や蓮台寺川に沿って高級旅館が立ち並ぶ地だ。吉田松陰が黒船に密航を企てた際に寄寓した民家が残り、吉田松陰寓寄処として公開されている。医師村山行馬郎[ぎょうまろう]家の母屋だった建物で、松陰が潜んだ2階の隠れの間などが、当時の状況のまま保存されている。
暗殺された源頼家の冥福を祈って実母、北条政子が建てた経堂。お堂の中心には鎌倉期の作品である釈迦如来坐像が安置され、静岡県の文化財に指定されている。指月殿の横には源頼家の墓がある。
来宮駅の南にある坪内逍遙[つぼうちしょうよう]の邸宅。屋敷は大正9年(1920)に建てられたもの。逍遙は、ここでシェークスピアの全訳を完成させた。建物は木造2階建ての日本家屋。庭先には名前の由来となった2本の柿の木と書斎がある。また、100m南の海蔵寺には逍遙夫妻の眠る墓がある。双柿舎の見学には身分証明書が必要。所要1時間。
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