
掛川城公園
関ケ原の戦い直後まで山内一豊が城主だったことでも知られる掛川城。平成6年(1994)に「東海の名城」と呼ばれた美しさそのままに、日本初の「本格木造天守閣」として復元され、令和6年(2024)復元30周年を迎えた。掛川城周辺には早咲きのカケガワザクラ(掛川桜)はじめソメイヨシノ、シダレザクラ、そして色とりどりのユリを楽しむことができる。日本100名城認定。掛川城御殿は国の重要文化財。
- 「掛川駅」から徒歩11分/「掛川市役所前駅」から徒歩24分
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関ケ原の戦い直後まで山内一豊が城主だったことでも知られる掛川城。平成6年(1994)に「東海の名城」と呼ばれた美しさそのままに、日本初の「本格木造天守閣」として復元され、令和6年(2024)復元30周年を迎えた。掛川城周辺には早咲きのカケガワザクラ(掛川桜)はじめソメイヨシノ、シダレザクラ、そして色とりどりのユリを楽しむことができる。日本100名城認定。掛川城御殿は国の重要文化財。
来宮駅の南にある坪内逍遙[つぼうちしょうよう]の邸宅。屋敷は大正9年(1920)に建てられたもの。逍遙は、ここでシェークスピアの全訳を完成させた。建物は木造2階建ての日本家屋。庭先には名前の由来となった2本の柿の木と書斎がある。また、100m南の海蔵寺には逍遙夫妻の眠る墓がある。双柿舎の見学には身分証明書が必要。所要1時間。
暗殺された源頼家の冥福を祈って実母、北条政子が建てた経堂。お堂の中心には鎌倉期の作品である釈迦如来坐像が安置され、静岡県の文化財に指定されている。指月殿の横には源頼家の墓がある。
『伊豆の踊子』の舞台になったことを記念して、昭和40年(1965)に建てられた文学碑。川端康成文学碑同様、ここにも小説の一節が刻まれている。
明治43年(1910)に呉服商家として建てられたなまこ壁の邸宅。2階建ての母屋と2棟の蔵が保存公開され、内部では20畳ほどの座敷で休憩できる。裏の公園には無料の足湯があるので、散策途中にひと休みを。
JR金谷駅の南にある東海道の難所として知られた金谷峠。文政年間(1818~29)、幕府の命令によって、近隣の村人が滑り止めの石を敷き詰めた歴史を持つ。平成3年(1991)には「町民一人一石運動」によって、消滅しかけた金谷坂の石畳430mが復元され、深々とした木立の中、当時を偲びながら風情ある旧東海道を歩けるようになった。また、JR金谷駅西方の旧菊川宿近くにある菊川坂でも江戸後期の石畳が発掘され、平成13年(2001)には町内外の人々の手によって611mの石畳が復元されている。
徳川御三家のひとつ、紀州藩の御用宿を勤めた新居宿最大の旅籠。江戸後期の旅籠の様式が残る建物内に、宿場文化に関する資料を展示。
国指定重要文化財「黒田家住宅」は寄棟造の母屋と長屋門からなり、江戸末期の代官屋敷の様式を伝える建築物(外観のみ見学可)。屋敷の周囲に巡らされた濠は戦国時代の城館の名残で、全国的にも例が少ない貴重な遺構。隣接する代官屋敷資料館は、代々代官を勤めた黒田家に伝わる貴重な品を展示し、当時の代官の暮らしぶりを資料から学べる。
奈良時代に全国に造られた国分寺の一つ。昭和26年(1951)に発掘され、東大寺を模した七堂伽藍を備えていたことがわかった。東西180m、南北253mの跡地には、金堂や講堂の礎石が点在し、史跡公園として開放されている。
明治8年(1875)に建てられた、現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎。大正11年(1922)までは小学校として、その後は裁縫女学校、病院などとして使われ、現在は教育資料館になっている。館内には、明治から大正にかけて使われた教科書や石盤、オルガンなどの他、民具や農具を展示。等身大の人形を置き、授業風景も再現されている。所要30分。
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