蓬莱橋
明治12年(1879)に大井川に架けられた、現在では珍しい木造の橋。全長897.4m、通行幅2.4m。通行できるのは、歩行者と自転車のみ。通行には料金が必要となるため、別名賃取り橋とも呼ばれている。大井川の洪水の度に被害を受けており、昭和40年(1965)に橋脚をコンクリートで補強。平成9年(1997)には、世界一長い木造歩道橋としてギネスブックに認定された。
- 「島田(静岡)駅」から徒歩23分
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明治12年(1879)に大井川に架けられた、現在では珍しい木造の橋。全長897.4m、通行幅2.4m。通行できるのは、歩行者と自転車のみ。通行には料金が必要となるため、別名賃取り橋とも呼ばれている。大井川の洪水の度に被害を受けており、昭和40年(1965)に橋脚をコンクリートで補強。平成9年(1997)には、世界一長い木造歩道橋としてギネスブックに認定された。
慶長6年(1601)に徳川家康によって創設されたと言われる関所で、現在の建物は残存する資料をもとに平成元年度(1989)に再建されたもの。本番所などには等身大の人形が並び、当時の様子を再現している。展示棟である姫様館では、江戸期の駕籠や手形などの資料が展示されている。団体料金は20人以上100円、80人以上50円。
二俣城は、天竜川と旧二俣川で三方を囲まれた天然の要害の地にある。丘陵の上を階段状に曲輪が設けられ、主要な施設が連なる。城の中心である本丸や二の丸には、土塁や石垣がめぐらされ、本丸の最奥には天守台がみられる。城郭の基本的な姿は、今川氏や徳川氏によって形づくられたとみられるが、石垣や天守は豊臣方の勢力下にある堀尾氏の領有時代の天正18年(1590)~慶長5年(1600)に築かれたものと考えられる。家康の長男信康が自害させられた悲劇の城として広く知られている。
三島から箱根に向かう、国道1号沿いにある城跡。築城は戦国末期。北条氏政が秀吉の攻撃に備えて増築を行ったが、その完成を見る間もなく秀吉の4万の軍に攻められ、わずか半日で陥落した。現在は山城の特色を伝える史跡公園として整備され、国の史跡に指定。富士山の眺望もよい。
伊東では数少ない、昭和初期の建築様式を残す木造3階建ての和風旅館だった建物。平成9年(1997)の廃業後に伊東市へ寄贈され、現在一般公開されている。書院の欄間や客室の飾り窓など、当時の職人が腕を競った美しい彫刻は必見。土・日曜、祝日には、立ち寄り入浴(料金:500円、入浴時間:要問合せ)もできる。
ねずみと猫の恩返し伝説から立てられた石碑。ある日、旅僧に化けた大ねずみが住職に襲いかかったが、2匹の猫がこれを助けた。ねずみも猫も息絶えたのを見た村人は猫だけを手厚く葬った。一方のねずみはその夜、村長の夢枕にあらわれて海上の安全と大漁を約束したといわれている。
戦国武将・柴田勝家の家臣を先祖にもち、江戸時代には相良の大庄屋として隆盛を誇った大鐘家。その住宅を保存・公開している。5月~7月中旬にかけては、約1万本のアジサイが開花。9~10月中旬には酔芙蓉(すいふよう)が咲き、多くの見物客で賑わう。冬~春はつるし雛展を開催。所要30分(アジサイの時期は45分~1時間)。
松川の河口、伊東港に面した小公園。伊東の市政30周年を記念し、昭和52年(1977)に造られた。芝生園地が整備され、「家族」など、伊東在住の彫刻家・重岡建治[しげおかけんじ]氏のブロンズ彫刻が置かれている。港に出入りする船が見られ、海上には初島、真鶴半島をはじめ、遠く房総半島なども望める。
静岡県内最古といわれる旧松原交番の建物をそのまま利用した観光案内所。館内には案内人が常駐し、湯の町散策についてのアドバイスもしてくれる。イベント情報や観光に役立つ各種パンフレットも揃えている。
楽寿園の園内中央に位置する明治期建築の高床式数寄屋造の建物。係員の解説付きで公開している(中途の入退場不可)。野口幽谷[ゆうこく]や滝和亭[たきかてい]など明治期の大家による装飾絵画が、およそ210面にわたり、天井や襖に描かれている。見学には係員が30分コースで案内(1日6回、コース・時間は要問合せ)。
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