舞坂宿脇本陣
大名、公家、幕府役人などが宿泊、休憩する施設を本陣といい、脇本陣とはその補助的旅舎。普段は旅籠屋を営み、大通行などで本陣の利用が重なった時に本陣の代わりをつとめた。この脇本陣は、旧東海道で唯一残された遺構を復元したもので、旧脇本陣「茗荷屋」の上段の間があった書院棟が残されている。舞坂宿は江戸から30番目の宿場で、東西交通を結ぶ今切渡しの渡船場であった。
- 「弁天島駅」から徒歩15分
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大名、公家、幕府役人などが宿泊、休憩する施設を本陣といい、脇本陣とはその補助的旅舎。普段は旅籠屋を営み、大通行などで本陣の利用が重なった時に本陣の代わりをつとめた。この脇本陣は、旧東海道で唯一残された遺構を復元したもので、旧脇本陣「茗荷屋」の上段の間があった書院棟が残されている。舞坂宿は江戸から30番目の宿場で、東西交通を結ぶ今切渡しの渡船場であった。
戦国武将・柴田勝家の家臣を先祖にもち、江戸時代には相良の大庄屋として隆盛を誇った大鐘家。その住宅を保存・公開している。5月~7月中旬にかけては、約1万本のアジサイが開花。9~10月中旬には酔芙蓉(すいふよう)が咲き、多くの見物客で賑わう。冬~春はつるし雛展を開催。所要30分(アジサイの時期は45分~1時間)。
明治12年(1879)に大井川に架けられた、現在では珍しい木造の橋。全長897.4m、通行幅2.4m。通行できるのは、歩行者と自転車のみ。通行には料金が必要となるため、別名賃取り橋とも呼ばれている。大井川の洪水の度に被害を受けており、昭和40年(1965)に橋脚をコンクリートで補強。平成9年(1997)には、世界一長い木造歩道橋としてギネスブックに認定された。
国指定史跡の蜆塚遺跡を中心に整備された公園。敷地内に点在する縄文時代後期の遺跡や貝塚を観ながら公園を散策できる。1周は約20~30分、園路上は花と緑に覆われ、癒しの空間を体験できる。
慶長6年(1601)に徳川家康によって創設されたと言われる関所で、現在の建物は残存する資料をもとに平成元年度(1989)に再建されたもの。本番所などには等身大の人形が並び、当時の様子を再現している。展示棟である姫様館では、江戸期の駕籠や手形などの資料が展示されている。団体料金は20人以上100円、80人以上50円。
城ケ崎ピクニカルコースの途中にある、幕末に領主の水野氏が海防のために大砲を据えた場所。現在は跡地のみ残る。
城ケ崎自然研究路のコース途中にある。海上交通安全のために設けられた灯明台の跡。
関ケ原の戦い直後まで山内一豊が城主だったことでも知られる掛川城。平成6年(1994)に「東海の名城」と呼ばれた美しさそのままに、日本初の「本格木造天守閣」として復元され、令和6年(2024)復元30周年を迎えた。掛川城周辺には早咲きのカケガワザクラ(掛川桜)はじめソメイヨシノ、シダレザクラ、そして色とりどりのユリを楽しむことができる。日本100名城認定。掛川城御殿は国の重要文化財。
「高天神を制するものは遠州を制する」といわれた要衝。戦国時代に徳川・武田の両雄が攻防戦を繰り広げた決戦場で、東海一の堅塁を誇った山城。続日本100名城認定。
室町期、初代横地太郎家永が横地氏の本城として築いた山城跡。山城跡としては、県内最大・最古の国指定の史跡でもある。園内には土塁・堀・曲輪など、いたるところに当時の面影が残る。自然も豊富で、春にはおよそ500本の桜が咲き乱れる。
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