
曹洞宗 瑞龍寺
浅間神社の西麓にあり、境内には家康の正室であった旭姫の供養塔がひっそりと立つ。旭姫は豊臣秀吉の異父妹であり、天正14年(1586)、44歳で浜松城にいた家康に嫁いだ。その4年後、天正18年(1590)に摂州有馬[せっしゅうありま]で亡くなって京都の東福寺に葬られ、供養塔は瑞龍寺に立てられた。寺には家康が寄贈したという朱印や旭姫の遺品が収蔵されている。また、門前には松尾芭蕉の句が刻まれた「しぐれ塚」がある。
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浅間神社の西麓にあり、境内には家康の正室であった旭姫の供養塔がひっそりと立つ。旭姫は豊臣秀吉の異父妹であり、天正14年(1586)、44歳で浜松城にいた家康に嫁いだ。その4年後、天正18年(1590)に摂州有馬[せっしゅうありま]で亡くなって京都の東福寺に葬られ、供養塔は瑞龍寺に立てられた。寺には家康が寄贈したという朱印や旭姫の遺品が収蔵されている。また、門前には松尾芭蕉の句が刻まれた「しぐれ塚」がある。
「山神社」とも呼ばれる神社で、木こりたちの守り神として、また病気を治す神でも親しまれてきた鎌倉時代創建の古社。森の中に立つ社殿の横手には大小のハサミが並んでいる。ハサミは疫病を断ち切る意味をもつもので、治癒したお礼に信者たちが奉納したもの。社務所には神場地区の人々が交代で詰め神社を守っている。なお、神社社務所に電話の設置がないため、問合わせは御殿場市観光協会へ。
行基[ぎょうき]により開山されたと伝わる寺。三十三曲りと呼ばれる山道の先にある仁王門(重要文化財)は、室町末期の建立とされ、県内でも1、2の古建築。本堂には行基自作という千手観世音菩薩が納められている。
足柄山の金太郎で親しまれている坂田金時[さかたのきんとき]の生家跡に、金時を祭神として建立されたもの。背後の小山一帯が金時公園として整備されており、金時の産湯として使ったちょろり七滝、第六天[だいろくてん]社などがある。境内入口に立つ、大きなまさかりがユーモラスだ。
今川氏に仕えた連歌師宗長が、永正元年(1504)に草庵を結んだところ。月の名所として知られる。京都の銀閣寺を模したといわれる庭園が室町時代の様式を伝え、本堂には足利義政から拝領した文福茶釜、一休さんから賜った鉄鉢など寺宝も展示。丸子富士や天柱山の遠景を取り込んだ借景庭園は見事。庭園は国の名勝及び史跡に指定されている。
宇津ノ谷[うつのや]峠を越える旅人が、鬼に会わぬようお参りしたという延命地蔵尊を安置している。室町時代から伝わる魔除けの「十団子[とうだんご]」は8月23・24日の縁日に販売している。
徳川家康公の遺言により、久能山に遺体が埋葬されその地に家康公を祀る神社として建てられた。全国東照宮の発祥の地。大工棟梁、中井正清によって築かれた社殿は平成22年(2010)に国宝指定。権現造、総漆塗極彩色の社殿および建造物群は、江戸時代初期の歴史的建造物として美麗かつ均整の取れた穏やかさを誇る。また、併設の博物館には家康公の愛用品、歴代将軍の寄進刀剣および多数の所蔵品が収められ、中でもスペイン国王から家康公に贈られた洋時計、歴代将軍の甲冑は全国的な関心が寄せられている。
梅の名所として知られ、2月下旬~3月上旬には大小約400本の紅白梅が咲き誇る。永平寺・駿河の国の末寺として信仰も厚く、毎年7月19・20日の開山忌大祭は大いに賑わう。開催については要問合せ。
明治26年(1893)、社会活動に貢献して没した清水次郎長こと山本長五郎をはじめ、女房のお蝶、大政、小政の墓がある。境内に立つ次郎長像の向いには次郎長遺物館もある。愛用の着衣や煙官、小政愛用の木刀などを展示、所要30分。
大同2年(807)、富士山の延暦噴火の鎮火祭跡地に創建された神社で、富士山登山道・須走口(東口)の起点。緑に包まれ、野鳥が生息する境内には、江戸時代の遺構を残す社殿や神門、静岡県指定天然記念物のハルニレの木、富士塚の狛犬、富士講講碑群、信しげの滝など、多くの見どころがある。社務所2階には社宝・富士講などの資料を展示する御鎮座千二百年記念資料館も。須走口登山道には5合目・古御岳神社、6合目・胎内神社、9合目・迎久須志之神社の各末社が鎮座。例大祭は5月5日、富士山開山式は7月10日に斎行される。
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