
霊山寺
行基[ぎょうき]により開山されたと伝わる寺。三十三曲りと呼ばれる山道の先にある仁王門(重要文化財)は、室町末期の建立とされ、県内でも1、2の古建築。本堂には行基自作という千手観世音菩薩が納められている。
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行基[ぎょうき]により開山されたと伝わる寺。三十三曲りと呼ばれる山道の先にある仁王門(重要文化財)は、室町末期の建立とされ、県内でも1、2の古建築。本堂には行基自作という千手観世音菩薩が納められている。
浅間神社の西麓にあり、境内には家康の正室であった旭姫の供養塔がひっそりと立つ。旭姫は豊臣秀吉の異父妹であり、天正14年(1586)、44歳で浜松城にいた家康に嫁いだ。その4年後、天正18年(1590)に摂州有馬[せっしゅうありま]で亡くなって京都の東福寺に葬られ、供養塔は瑞龍寺に立てられた。寺には家康が寄贈したという朱印や旭姫の遺品が収蔵されている。また、門前には松尾芭蕉の句が刻まれた「しぐれ塚」がある。
梅の名所として知られ、2月下旬~3月上旬には大小約400本の紅白梅が咲き誇る。永平寺・駿河の国の末寺として信仰も厚く、毎年7月19・20日の開山忌大祭は大いに賑わう。開催については要問合せ。
高さ2mほどの滝の上に駿河を攻略した武田信玄の守り本尊、愛宕山大権現の堂と、不動明王堂がある。毎月28日が縁日で朝市が立つ。
2000年以上の歴史を誇るこの地方随一の神社。江戸時代に徳川幕府の直営工事で60年かけて造営された総漆塗り極彩色の豪壮華麗な社殿群は、すべて国の重要文化財に指定されており、その数は26棟にもおよぶ。徳川家康が元服式を行なった神社としても有名で、今川氏、徳川氏と類稀なる崇敬を受けてきた。現在「~20年かけての化粧直し~」と銘うって境内にある重要文化財の社殿群を順次修理していく「平成令和の大改修工事」を実施中で、楼門、回廊等が竣工し、ピカピカの社殿が見られる。また、「七社参りで萬願成就」といい、境内にある七つの神社をすべて参拝すると何でも願い事が叶うと言われている。
今川氏に仕えた連歌師宗長が、永正元年(1504)に草庵を結んだところ。月の名所として知られる。京都の銀閣寺を模したといわれる庭園が室町時代の様式を伝え、本堂には足利義政から拝領した文福茶釜、一休さんから賜った鉄鉢など寺宝も展示。丸子富士や天柱山の遠景を取り込んだ借景庭園は見事。庭園は国の名勝及び史跡に指定されている。
宇津ノ谷[うつのや]峠を越える旅人が、鬼に会わぬようお参りしたという延命地蔵尊を安置している。室町時代から伝わる魔除けの「十団子[とうだんご]」は8月23・24日の縁日に販売している。
7世紀後半の白鳳時代に開創。関所鎮護の仏堂が寺の始まりと伝えられ、梵鐘[ぼんしょう]や書画などの文化財を収蔵。山門や鐘楼など歴史的な建造物も多い。足利尊氏と徳川家康ゆかりの寺でもあり、家康が指図したという池泉庭園は国の指定名勝。夏目漱石・高山樗牛・与謝野晶子など多くの文人・詩人が訪れ、天明年間(1781~88年)の作とされる五百羅漢石像は島崎藤村の小説にも登場する。また、平成29年(2017)10月には、江戸時代に朝鮮通信使が当寺に遺した書跡48点がユネスコの「世界の記録」に登録された。
江戸初期、日近[にちごん]上人により開かれた日蓮宗の寺。日本最古の造園法による観富園[かんぷえん]は築山を有渡山[うどやま]、池を駿河湾、本堂の屋根を富士山に模した、東海屈指の名園。178枚の天井画が飾られた祖師堂、高山樗牛[ちょぎゅう]の墓と記念館、国の天然記念物で樹齢約1100年の大ソテツもある。
徳川家康公の遺言により、久能山に遺体が埋葬されその地に家康公を祀る神社として建てられた。全国東照宮の発祥の地。大工棟梁、中井正清によって築かれた社殿は平成22年(2010)に国宝指定。権現造、総漆塗極彩色の社殿および建造物群は、江戸時代初期の歴史的建造物として美麗かつ均整の取れた穏やかさを誇る。また、併設の博物館には家康公の愛用品、歴代将軍の寄進刀剣および多数の所蔵品が収められ、中でもスペイン国王から家康公に贈られた洋時計、歴代将軍の甲冑は全国的な関心が寄せられている。
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