平田寺
弘安年間(1278~1288)の創建と伝わる古刹。天平感宝元年(749)に聖武天皇が「天下太平万民和楽」を祈願して奈良五大寺に寄進した、聖武天皇勅書(国宝)(非公開)を所蔵する。
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弘安年間(1278~1288)の創建と伝わる古刹。天平感宝元年(749)に聖武天皇が「天下太平万民和楽」を祈願して奈良五大寺に寄進した、聖武天皇勅書(国宝)(非公開)を所蔵する。
弘法大師が創建したと伝わる古寺。境内のいの字石は、弘法大師が霊力で書いたといわれ、念じながら「い」の字をなぞると願いごとがかなうとの言い伝えがある。また左甚五郎[ひだりじんごろう]作という彫刻があることでも知られる。山門の欄間に狩野元信の下絵で彫った「竹に虎」が、大師堂(料金:100円、時間:9~17時、冬期は~16時30分、定休日:不定休)には表に船原山の文字、裏面に牡丹の花をあしらった作品が残る。
高さ5m、座像では日本一大きい達磨大師像があり、病気平癒のご利益があるといわれる。願い事を一つだけ書いた開運札を貼ると、その願いがかなうという願かけ達磨も。ストレスおさらば、病おさらばなどと悩み事を皿に書いて赤石にぶつける、お皿[さらば]赤石達磨は1枚300円。恒例のだるま市は、1月1~3日開催。
大同2年(807)、弘法大師の開山と伝わる古刹。ここで源頼朝の弟・範頼[のりより]が自刃し、長子頼家が暗殺された。岡本綺堂[おかもときどう]の戯曲『修禅寺物語』は、この史実を題材にして書いたものとして知られる。
14世紀末期に大通融士[だいつうゆうし]が開いたという曹洞宗の古刹。周囲の緑に埋もれるように間口3.65m、奥行3.5mの山門が立つ。冠木門からこの山門まで約70mの参道はサザンカのトンネルになっている。
大同2年(807)、富士山の延暦噴火の鎮火祭跡地に創建された神社で、富士山登山道・須走口(東口)の起点。緑に包まれ、野鳥が生息する境内には、江戸時代の遺構を残す社殿や神門、静岡県指定天然記念物のハルニレの木、富士塚の狛犬、富士講講碑群、信しげの滝など、多くの見どころがある。社務所2階には社宝・富士講などの資料を展示する御鎮座千二百年記念資料館も。須走口登山道には5合目・古御岳神社、6合目・胎内神社、9合目・迎久須志之神社の各末社が鎮座。例大祭は5月5日、富士山開山式は7月10日に斎行される。
覚照という僧によって、元応元年(1319)に創建されたと伝わる。寺宝に河童のかめと呼ばれる壺があり、かつて栖足寺の住職に助けられたカッパが、お礼に置いていったとの伝説が残っている。黒褐色をした高さ36cmほどの焼物で、壺口に耳を当てるとせせらぎの音が聞こえるという。
安政元年(1854)12月に日露和親条約が調印され、翌年1月に日米和親条約批准書が交換された寺。お吉観音や条約当時の拝領品、ロシアとのゆかりから旧ソ連から送られた人形や絵葉書などが展示されている。
アメリカ使節タウンゼント・ハリスが、日本最初のアメリカ総領事館を置いた寺。ハリスは、安政3年(1856)9月から2年10カ月をここの本堂で過ごした。境内のハリス記念館には、ハリスの遺品や当時の記録などを展示。日本で初めて牛乳が飲まれたことを記念する碑や最初の屠牛地であることを示す屠牛木[とぎゅうもく]供養塔なども立ち、墓地には黒船ペリー艦隊乗員やロシア艦ディアナ号乗員の墓がある。国史跡。
石廊埼灯台のすぐ先、岬の崖の途中に社殿が張り付くようにある神社。かつては「石廊権現」または「石廊崎権現」ともいわれ、海上の安全を守る伊波例命[いわれのみこと]を祭っている。千石船の帆柱を土台に使用した簡素な造りの社殿は、明治34年(1901)の建築だが創建は大宝元年(701)と古く、4月3日は祭典日。
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