河津八幡神社
仇討ちで有名な曽我十郎・五郎兄弟と、その父河津三郎祐泰[すけやす]を祭る。このあたりは平安時代末期に河津氏の館があった場所であり、十郎、五郎もここで生まれた。相撲技の「かわづ掛け」に名を残す河津三郎は強力で知られ、境内には三郎が力試しに使ったといわれる力石[ちからいし]や力石を持った三郎の像がある。神社の管理者がいないため、ご朱印はない。
- 「河津駅」から徒歩8分/「今井浜海岸駅」から徒歩25分
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仇討ちで有名な曽我十郎・五郎兄弟と、その父河津三郎祐泰[すけやす]を祭る。このあたりは平安時代末期に河津氏の館があった場所であり、十郎、五郎もここで生まれた。相撲技の「かわづ掛け」に名を残す河津三郎は強力で知られ、境内には三郎が力試しに使ったといわれる力石[ちからいし]や力石を持った三郎の像がある。神社の管理者がいないため、ご朱印はない。
アメリカ使節タウンゼント・ハリスが、日本最初のアメリカ総領事館を置いた寺。ハリスは、安政3年(1856)9月から2年10カ月をここの本堂で過ごした。境内のハリス記念館には、ハリスの遺品や当時の記録などを展示。日本で初めて牛乳が飲まれたことを記念する碑や最初の屠牛地であることを示す屠牛木[とぎゅうもく]供養塔なども立ち、墓地には黒船ペリー艦隊乗員やロシア艦ディアナ号乗員の墓がある。国史跡。
お吉の菩提寺。本堂の右横に唐人お吉記念館(料金:400円、時間:8~17時、休み:無休)があり、お吉の遺品や写真を展示。墓は記念館裏手に、供養の石灯籠や鶴松の塚と並んで立っている。墓石や灯籠は、舞台で「唐人お吉」を演じた新派の先代水谷八重子らが寄進したもの。また館内には文久3年(1863)、坂本龍馬の脱藩赦免をめぐって、勝海舟、山内容堂が会談した「謁見の間」も残されている。
平安時代の延喜式に載る古社。本殿横の大楠(天然記念物)は樹齢1000年以上といわれ、根回り約20m、樹高24mある。12月18~23日まで、鶏肉と鶏卵を食べず禁酒する鳥精進、酒精進の風習が残る。
入間の高台にある寺。伊豆国七福神の霊場でもあり、子育布袋尊天[こそだてほていそんてん]を祭る。墓地にあるニール号遭難者招魂碑は、明治7年(1874)に入間沖で坐礁、沈没したフランスの郵便船ニール号の船員を弔った慰霊塔。
「山神社」とも呼ばれる神社で、木こりたちの守り神として、また病気を治す神でも親しまれてきた鎌倉時代創建の古社。森の中に立つ社殿の横手には大小のハサミが並んでいる。ハサミは疫病を断ち切る意味をもつもので、治癒したお礼に信者たちが奉納したもの。社務所には神場地区の人々が交代で詰め神社を守っている。なお、神社社務所に電話の設置がないため、問合わせは御殿場市観光協会へ。
室町時代に創建された浄土宗の古刹。境内には藤棚があり、初夏には薄紫の花房が美しい。また、安政元年(1854)の大津波による犠牲者を悼む津なみ塚が立つ。阿弥陀堂には、平安末期の丈六の阿弥陀仏坐像が安置されている。お吉の恋人だった大工鶴松の墓があることでも有名。
今川氏に仕えた連歌師宗長が、永正元年(1504)に草庵を結んだところ。月の名所として知られる。京都の銀閣寺を模したといわれる庭園が室町時代の様式を伝え、本堂には足利義政から拝領した文福茶釜、一休さんから賜った鉄鉢など寺宝も展示。丸子富士や天柱山の遠景を取り込んだ借景庭園は見事。庭園は国の名勝及び史跡に指定されている。
覚照という僧によって、元応元年(1319)に創建されたと伝わる。寺宝に河童のかめと呼ばれる壺があり、かつて栖足寺の住職に助けられたカッパが、お礼に置いていったとの伝説が残っている。黒褐色をした高さ36cmほどの焼物で、壺口に耳を当てるとせせらぎの音が聞こえるという。
梅の名所として知られ、2月下旬~3月上旬には大小約400本の紅白梅が咲き誇る。永平寺・駿河の国の末寺として信仰も厚く、毎年7月19・20日の開山忌大祭は大いに賑わう。開催については要問合せ。
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