
明徳寺
曹洞宗の古刹で、創建は南北朝末期の明徳年間(1390~1394)。東司(便所)の守護神、烏枢沙摩明王[うすさまみょうおう]を祭る全国でも珍しい寺で、下半身の病気に御利益がある。毎年8月29日に行われる東司祭は、多くの参拝客で賑わう。
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曹洞宗の古刹で、創建は南北朝末期の明徳年間(1390~1394)。東司(便所)の守護神、烏枢沙摩明王[うすさまみょうおう]を祭る全国でも珍しい寺で、下半身の病気に御利益がある。毎年8月29日に行われる東司祭は、多くの参拝客で賑わう。
大瀬崎の先端、大瀬神社の境内の一角で、海岸から最も近いところでは15mほどの距離にあり、海水が入りこむのにもかかわらず淡水という不思議な池。一説では、地下から富士山の伏流水が湧出しているとも伝えられる。池にはたくさんのコイやフナが泳いでいる。見学は岬の環境美化協力として拝観料が必要。
池宮神社の境内にあり、約2万年前に砂丘がせき止められて誕生した。皇円阿闍梨[こうえんあじゃり]が龍となって池に入定したと伝えられる神秘の池。9月の彼岸の中日に法然[ほうねん]上人の龍神供養を起源とする「納櫃[のうひつ]祭」が行われる場所としても有名。
日蓮聖人の高弟、日興上人[にっこうしょうにん]が永仁6年(1298)に創建した古刹。境内には、日興上人お手植の幹周り約7mもある巨杉が700余年の風雲・災害に耐え現存し、歴史ある寺らしさが漂う。
村山浅間神社は明治時代の初めまで京都の聖護院を本寺とする修験道の拠点で「富士山興法寺」と称し、富士修験の中心地であった。戦国時代には、時の権力者である今川氏の庇護を受け、数多くの先達や道者(登山者)が集い、富士登山の中心地として栄えた。明治時代には、神仏分離法を受けて興法寺は廃され、大日堂と浅間神社は分離された。土・日曜、祝日には村山浅間神社案内所が開所され、富士山世界遺産ガイドが常駐。世界遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の1つ。
木々に囲まれて重厚な社殿が立つ。社殿の裏手にある大楠(天然記念物)は推定樹齢2100年以上で、本州1位の巨樹。樹高約26m、幹の周囲が約24mある。1周すると1年間長生きするという。オープン茶寮「報鼓」等、カフェ軽食施設などもある。
大同2年(807)、弘法大師の開山と伝わる古刹。ここで源頼朝の弟・範頼[のりより]が自刃し、長子頼家が暗殺された。岡本綺堂[おかもときどう]の戯曲『修禅寺物語』は、この史実を題材にして書いたものとして知られる。
弘安年間(1278~1288)の創建と伝わる古刹。天平感宝元年(749)に聖武天皇が「天下太平万民和楽」を祈願して奈良五大寺に寄進した、聖武天皇勅書(国宝)(非公開)を所蔵する。
14世紀末期に大通融士[だいつうゆうし]が開いたという曹洞宗の古刹。周囲の緑に埋もれるように間口3.65m、奥行3.5mの山門が立つ。冠木門からこの山門まで約70mの参道はサザンカのトンネルになっている。
網代の町なかからトンネルを2つ抜けて海岸線を回り込んだ山の中腹にある。本尊は奈良時代の僧行基の作と伝わる木造の聖観音像で、33年ごとに開帳(1996年開帳)。境内は竹林が美しく、石造りの33観音像が並ぶ。相模湾や初島の眺めがよい。
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