蓮着寺
伊豆に流された日蓮上人は、現在の蓮着寺から500mほど南にある、俎岩[まないたいわ]に置き去りにされたという。その故事にちなんで祖師堂を建てたのが蓮着寺の始まり。枝が左右22mにも及ぶ境内のヤマモモの大樹は、国の天然記念物に指定されている。
- 「城ケ崎海岸駅」から徒歩19分
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伊豆に流された日蓮上人は、現在の蓮着寺から500mほど南にある、俎岩[まないたいわ]に置き去りにされたという。その故事にちなんで祖師堂を建てたのが蓮着寺の始まり。枝が左右22mにも及ぶ境内のヤマモモの大樹は、国の天然記念物に指定されている。
その険しさから、鈴鹿・箱根とともに東海道の三大難所と呼ばれた小夜の中山峠。この中腹に奈良時代に行基によって開かれたといわれる名刹。慶長5年(1600)関ケ原の合戦につながることとなる会津上杉征伐で、大阪から軍を進めた徳川家康を掛川城主・山内一豊がもてなした茶亭跡や夜泣石伝説にまつわる夜泣石といわれる石が供養塔として境内に残る。
応永8年(1401)恕仲[じょちゅう]禅師により創建された名刹。明治6年(1873)に秋葉寺[しゅうようじ]から火防の仏様・三尺坊大権現が移され、以来、秋葉信仰の総本山として参詣者を集めている。400年ほど前に当時今川家に人質になっていた徳川家康を和尚が救出。のちに浜松城主となった家康に招かれた和尚が、その席上で居眠りをしているのを見て、家康は笑いながら「眠る可[べ]し」と言ったことからこの寺号になった。4月中旬~5月上旬のボタン(入園有料)が有名で、期間中は精進料理のボタン膳1500円も味わえる。
孝謙天皇の勅願寺で、大宝元年(701)に行基が創建。境内には、孝謙天皇の眼病を治したといわれる薬師様が祀られ、目の霊山として信仰されている。油山寺山門(重要文化財)や朱塗の三重塔(重要文化財)、本堂内の薬師如来厨子(重要文化財)、本堂・書院・方丈(静岡県文化財)、幹が松・枝葉が杉(県指定天然記念物)等多くの寺宝がある。
国の重要無形民俗文化財に指定されている森町三大舞楽のうちの一つ、十二段舞楽が毎年4月第一土・日曜に奉納される神社。本殿・拝殿は県の文化財、また境内に御神木として祭られているなぎの木の大樹は県の天然記念物に指定されている。
国の重要無形民俗文化財に指定されている森町三大舞楽のうちの1つ、天王祭舞楽が行われる神社。柱に両足をからめ、音楽にあわせて手と頭を上下に振る竜の舞、かまきりのかつらを付けて舞う蟷螂の舞など、全国でも珍しい舞が毎年7月15日に近い土・日曜に行われる。
創建1470余年、癒しの斎庭[いやしのゆにわ]と称される約25万坪を超える広大なご神域に鎮座する小國神社。心の優しい神様大己貴命[おおなむちのみこと]を祀る縁結び・厄除・交通安全の名社として全国より参拝者が訪れる。徳川家康公の祈願所で知られ、元亀3年(1572)に開運・戦勝祈願の後、長篠の戦い・関ケ原の戦いに勝利、天下統一の大願を成就させた。家康公が腰かけたと伝わる「家康公の立ち上がり石」も現存し、今も心願成就を祈り腰かける参拝者が絶えない。門前ではおみやげなども販売。お茶と門前銘菓「えんバウム・こづち」が大人気。
慶雲元年(704)、文武天皇の勅願で行基が創建したという。15代まで法相宗、16代から天台宗になり36坊を有した。萩の寺として有名で、秋には見物客で賑わう。徳川家康のご朱印目録や、今川義元の寄進状などが拝観できる。山内一豊ゆかりの寺。木喰上人が一晩で彫刻した子安地蔵尊(文化財)が有名。
文徳天皇の勅願所とする、天台宗天岳院として創建。桜ケ池(御前崎市)の竜神になったという比叡山の高僧・皇円阿闍梨を弟子の法然上人がしのび、桜ケ池を訪れた帰途に歯吹如来像を安置。浄土宗に改宗し、応声教院と改名した。寺宝には阿闍梨の杖や笠、うろこが伝わる。徳川秀忠が静岡市の名刹宝台院に寄進し、のちに応声教院に移築された山門(重要文化財)、高さ6.2mの大地蔵、のんべえ地蔵などもある。
神亀2年(725)、聖武天皇の勅命で行基が開いた名刹。本尊の正観世音菩薩像は由緒ある厄除観音として名高く、仁王門(重要文化財)から杉並木の参道は多くの参拝者で賑わう。江戸時代から伝わる「厄除だんご」も名物。
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