臨済宗大本山方広寺・半僧坊総本殿
建徳2年(1371)に後醍醐天皇の皇子・無文元選禅師によって開山とする臨済宗の禅寺。方広寺の鎮守の神である半僧坊の信仰も篤く、深い緑に包まれた境内には、本堂を中心に半僧坊真殿、開山堂、三重塔などが立つ。国の重文指定を受ける七尊菩薩堂は県内最古の木造建築。境内各所に置かれた五百羅漢の石像も見どころのひとつだ。要予約で精進料理を味わうこともできる。
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建徳2年(1371)に後醍醐天皇の皇子・無文元選禅師によって開山とする臨済宗の禅寺。方広寺の鎮守の神である半僧坊の信仰も篤く、深い緑に包まれた境内には、本堂を中心に半僧坊真殿、開山堂、三重塔などが立つ。国の重文指定を受ける七尊菩薩堂は県内最古の木造建築。境内各所に置かれた五百羅漢の石像も見どころのひとつだ。要予約で精進料理を味わうこともできる。
標高1107mの山住峠にあり、お犬さま信仰で知られる神社。元亀3年(1572)、三方ケ原の戦いで苦戦中の徳川家康を犬たちが一斉に吠えて敵を散らせ、守ったと伝えられる。境内の樹齢1300余年の杉の巨木が見もの。
秋葉神社から、やや下ったところにある古刹。火防の神として全国に知られ、山岳宗教のメッカだった標高866mの秋葉山。明治5年(1872)の神仏分離で一時廃寺となったが、明治13年(1880)現在地に再建。12月15・16日の火まつりでは、夜9時から厄除けの護摩焚きが行われる。来る年を占う凧が護摩の火気で勢いよくあがり、火がしずまった後、その上を裸足で歩く火渡りの荒行も体験可。
安産の神として信仰を集める豊玉姫[とよたまひめ]を祭る。音無の森とよばれた一角にあり、伊東市の天然記念物のタブやシイの巨木がうっそうと茂り、境内は昼でも薄暗いほど。源頼朝と八重姫が逢瀬を楽しんだ場所と伝えられ、2人とその子供の千鶴丸を祭る摂社も建つ。11月10日の例大祭は尻つみ祭りという奇祭。
孝謙天皇の勅願寺で、大宝元年(701)に行基が創建。境内には、孝謙天皇の眼病を治したといわれる薬師様が祀られ、目の霊山として信仰されている。油山寺山門(重要文化財)や朱塗の三重塔(重要文化財)、本堂内の薬師如来厨子(重要文化財)、本堂・書院・方丈(静岡県文化財)、幹が松・枝葉が杉(県指定天然記念物)等多くの寺宝がある。
国の重要無形民俗文化財に指定されている森町三大舞楽のうちの一つ、十二段舞楽が毎年4月第一土・日曜に奉納される神社。本殿・拝殿は県の文化財、また境内に御神木として祭られているなぎの木の大樹は県の天然記念物に指定されている。
神亀2年(725)、聖武天皇の勅命で行基が開いた名刹。本尊の正観世音菩薩像は由緒ある厄除観音として名高く、仁王門(重要文化財)から杉並木の参道は多くの参拝者で賑わう。江戸時代から伝わる「厄除だんご」も名物。
慶雲元年(704)、文武天皇の勅願で行基が創建したという。15代まで法相宗、16代から天台宗になり36坊を有した。萩の寺として有名で、秋には見物客で賑わう。徳川家康のご朱印目録や、今川義元の寄進状などが拝観できる。山内一豊ゆかりの寺。木喰上人が一晩で彫刻した子安地蔵尊(文化財)が有名。
応永8年(1401)恕仲[じょちゅう]禅師により創建された名刹。明治6年(1873)に秋葉寺[しゅうようじ]から火防の仏様・三尺坊大権現が移され、以来、秋葉信仰の総本山として参詣者を集めている。400年ほど前に当時今川家に人質になっていた徳川家康を和尚が救出。のちに浜松城主となった家康に招かれた和尚が、その席上で居眠りをしているのを見て、家康は笑いながら「眠る可[べ]し」と言ったことからこの寺号になった。4月中旬~5月上旬のボタン(入園有料)が有名で、期間中は精進料理のボタン膳1500円も味わえる。
創建1470余年、癒しの斎庭[いやしのゆにわ]と称される約25万坪を超える広大なご神域に鎮座する小國神社。心の優しい神様大己貴命[おおなむちのみこと]を祀る縁結び・厄除・交通安全の名社として全国より参拝者が訪れる。徳川家康公の祈願所で知られ、元亀3年(1572)に開運・戦勝祈願の後、長篠の戦い・関ケ原の戦いに勝利、天下統一の大願を成就させた。家康公が腰かけたと伝わる「家康公の立ち上がり石」も現存し、今も心願成就を祈り腰かける参拝者が絶えない。門前ではおみやげなども販売。お茶と門前銘菓「えんバウム・こづち」が大人気。
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