最明寺
源氏山の西麓にあり、鎌倉幕府5代執権北条時頼が開基。境内奥に時頼の墓もある。時頼は若くして家督を譲り、出家して「最明寺殿」と呼ばれた。
- 「伊豆長岡駅」から徒歩25分
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源氏山の西麓にあり、鎌倉幕府5代執権北条時頼が開基。境内奥に時頼の墓もある。時頼は若くして家督を譲り、出家して「最明寺殿」と呼ばれた。
伊豆88カ所2番札所。福禄寿尊[ふくろくじゅそん]を祭り、伊豆天城七福神の一つに数えられる。安政4年(1857)には、米国使節のハリス一行が宿泊した寺でもあり、本堂にはその時使用した椅子などが展示されている。
応永21年(1414)創建の浄土宗の古刹。本堂の欄間には幕末の名工・石田半兵衛作の十六羅漢像の透かし彫りが見られる。境内から湧き出る清水が寺名の由来で、本堂裏手には池泉を配した庭園がある。江戸時代に伊豆の三庭園とうたわれた場所だ。
慶寿寺本堂の裏にあるシダレザクラは、別名「孝養桜」ともいわれ、今川範氏が父範国の遺徳をしのんで植えたと伝えられており、現存の桜は2代目。目通り周囲は3.5m、高さ14m、枝張り18mを誇る桜で静岡県の天然記念物に指定されている。このシダレザクラが衰弱しているため、平成18年(2006)2月に3代目が参道入口に植樹された。3代目は約20年前に2代目の枝を別のシダレザクラに接ぎ木して得ることができた2本の成木のうちの1本。
お吉の菩提寺。本堂の右横に唐人お吉記念館があり、お吉の遺品や写真を展示。墓は記念館裏手に、供養の石灯籠や鶴松の塚と並んで立っている。墓石や灯籠は、舞台で「唐人お吉」を演じた新派の先代水谷八重子らが寄進したもの。また館内には文久3年(1863)、坂本龍馬の脱藩赦免をめぐって、勝海舟、山内容堂が会談した「謁見の間」も残されている。
奈良時代の創建といわれ、今川氏や徳川氏から厚く信仰されてきた。本堂は桃山文化の影響を受けたとされる壮大な茅葺屋根。堂内には本尊千手観音立像が安置されるが、60年に一度の開帳で次回は2054年だ。境内にある樹齢1000年の老木、十本杉(天然記念物)も見もの。
標高1107mの山住峠にあり、お犬さま信仰で知られる神社。元亀3年(1572)、三方ケ原の戦いで苦戦中の徳川家康を犬たちが一斉に吠えて敵を散らせ、守ったと伝えられる。境内の樹齢1300余年の杉の巨木が見もの。
天正7年(1579)徳川家康の長男、信康は織田信長に嫌疑をかけられ、二俣城内で自刃した。家康は後に信康供養のため、二俣城の北東の地に清瀧寺を建てさせた。清瀧寺の境内には信康をまつった廟がある。
建徳2年(1371)、後醍醐天皇の皇子無文元選[むもんげんせん]禅師によって開かれた。杉の老木が茂る鬱蒼[うっそう]とした境内に、本堂・半僧坊真殿・開山堂・三重の塔など、60あまりの堂宇が立ち並ぶ。宿泊研修や座禅、法話の体験可。
天平5年(733)、行基が開山した古刹で、井伊家代々の菩提寺。本堂のうぐいす張りの廊下、竜の彫刻は左甚五郎[ひだりじんごろう]作と伝わる。織田信長の遺品や井伊家ゆかりの品々などがある。国指定名勝小堀遠州作龍潭寺庭園、静岡県指定文化財龍潭寺本堂等が見どころ。
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