お湯かけ弁財天
温泉街の中央にあるパワースポット。熱泉が噴出す源泉やぐらの隣にあり、琵琶を手にした弁財天の像が立っている。この弁財天に湯をかけて願い事をすると叶うといわれている。縁結びの木「梛の木」もある。源泉ゆで玉子作り体験もでき、生玉子は熱川温泉観光協会にて購入できる。
- 「伊豆熱川駅」から徒歩3分/「伊豆北川駅」から徒歩22分
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温泉街の中央にあるパワースポット。熱泉が噴出す源泉やぐらの隣にあり、琵琶を手にした弁財天の像が立っている。この弁財天に湯をかけて願い事をすると叶うといわれている。縁結びの木「梛の木」もある。源泉ゆで玉子作り体験もでき、生玉子は熱川温泉観光協会にて購入できる。
ペリー艦隊の上陸記念の地として、故村田徳次郎氏によって建てられた碑。嘉永7年(1854)再来したペリーと幕府の間でもたれた日米和親条約の交渉過程で、開港地としてのいくつかの条件を満たす下田にペリーは満足し、調査船の艦隊が次々と入港した。記念碑の前の錨は、アメリカ海軍から寄贈されたもの。
村山浅間神社は明治時代の初めまで京都の聖護院を本寺とする修験道の拠点で「富士山興法寺」と称し、富士修験の中心地であった。戦国時代には、時の権力者である今川氏の庇護を受け、数多くの先達や道者(登山者)が集い、富士登山の中心地として栄えた。明治時代には、神仏分離法を受けて興法寺は廃され、大日堂と浅間神社は分離された。土・日曜、祝日には村山浅間神社案内所が開所され、富士山世界遺産ガイドが常駐。世界遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の1つ。
文政3年(1820)清水次郎長が生まれた、次郎長通りにある生家。次郎長の写真や使った道具類などが展示され、200年前の湊に生きた庶民の暮らしが分かる。平成30年(2018)国の登録有形文化財に登録。次郎長にちなんだみやげも販売。所要20分。
田中藩(約4万石)藩主の下屋敷跡。庭園を復元し、田中城ゆかりの建築物を移築するなど、田中城の歴史が偲ばれる。所要30分。
山宮浅間神社は、富士山本宮浅間大社(以下「浅間大社」と略記)の祭神である富士神が最初に祀られた場所と言われ、浅間神として現在の浅間大社に遷されることで「山宮」となった。全国の浅間大社の中でも最も古い神社とされる。境内には社殿がなく、富士山を直接拝むための遥拝所があり、古代からの富士山祭祀の形が今も息づいている。土・日曜、祝日には山宮浅間神社の案内所が開所され、富士山世界遺産ガイドが常駐。世界遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉-」の構成資産の1つ。
下田市内に点在して残る往時の姿をとどめる建物。土壁に平瓦をはめ、継ぎ目を漆喰で固めた防火・防湿のための壁は、黒地に白い格子模様で今でもモダンといえるハイデザイン。なまこ壁と写真撮影を。
旧道沿いの杉林の中にひっそりと立つ文学碑。川端康成の横顔のレリーフと、『伊豆の踊子』の有名な冒頭部分が刻まれている。
指月殿の裏山に広がる自然公園。修善寺の各所に設置された桂谷八十八カ所のうち、36番~44番までの札所が園内に点在する。桂谷八十八カ所とは、28kmの行程で四国霊場巡り同様の功徳が得られるとしたもの。毎年11月7~9日に巡礼が行なわれている。指月殿から急な山道を登ると、岩を削って安置した岩谷観音、山頂には源義経像、少し下ったところに鹿山の散策を好んだ吉田絃二郎の妻、明枝の句碑がある。
様々なレクリエーションを楽しめる芝生の広場や、2種類の遊具広場を整備。公園北側の柏谷横穴群は、一部国指定史跡。
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