
起雲閣
非公開の岩崎邸、現存しない住友邸と並び、「熱海の三大別荘」といわれた名邸。日本家屋の母屋と離れは大正後期、洋館と広大な庭園は昭和初期に造られたもので、熱海市有形文化財に指定されている。戦後は旅館として賑わい、太宰治ら多くの文化人も投宿した。現在は熱海市の所有となり一般公開されている。館内にはゆかりの文豪たちの資料展示室や喫茶室もある。所要40分。
- 「来宮駅」から徒歩14分/「熱海駅」から徒歩23分
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非公開の岩崎邸、現存しない住友邸と並び、「熱海の三大別荘」といわれた名邸。日本家屋の母屋と離れは大正後期、洋館と広大な庭園は昭和初期に造られたもので、熱海市有形文化財に指定されている。戦後は旅館として賑わい、太宰治ら多くの文化人も投宿した。現在は熱海市の所有となり一般公開されている。館内にはゆかりの文豪たちの資料展示室や喫茶室もある。所要40分。
下田市内に点在して残る往時の姿をとどめる建物。土壁に平瓦をはめ、継ぎ目を漆喰で固めた防火・防湿のための壁は、黒地に白い格子模様で今でもモダンといえるハイデザイン。なまこ壁と写真撮影を。
下田の賑わいから離れた、静かな山間にある蓮台寺温泉に、幕末の偉人・吉田松陰ゆかりの建物が残っている。下田の奥座敷ともいわれ、稲生沢川や蓮台寺川に沿って高級旅館が立ち並ぶ地だ。吉田松陰が黒船に密航を企てた際に寄寓した民家が残り、吉田松陰寓寄処として公開されている。医師村山行馬郎[ぎょうまろう]家の母屋だった建物で、松陰が潜んだ2階の隠れの間などが、当時の状況のまま保存されている。
尾崎紅葉の小説「金色夜叉」に登場する貫一とお宮。この2人が別れの場面を迎える海辺に、心変わりの許しを請うお宮と、それを足蹴にする貫一の姿の像が立っている。この愛憎物語の舞台は、今や恋人たちのラブスポットとなっている。
『滝沢馬琴』『孤愁の岸』などの作品で有名な歴史作家・杉本苑子氏が昭和52年(1977)に建てた。昭和55年(1980)から15年間にわたり執筆の拠点となった。
ペリー艦隊の上陸記念の地として、故村田徳次郎氏によって建てられた碑。嘉永7年(1854)再来したペリーと幕府の間でもたれた日米和親条約の交渉過程で、開港地としてのいくつかの条件を満たす下田にペリーは満足し、調査船の艦隊が次々と入港した。記念碑の前の錨は、アメリカ海軍から寄贈されたもの。
築250年、今やほぼ現存していない飛騨白川郷の5層の合掌造りを民芸館として公開。囲炉裏で館主から建築工法や先人たちの知恵を聞き、日本の文化の素晴らしさを実感しよう。
明治30年(1897)から6年間、読売新聞の「新小説」に掲載された尾崎紅葉の小説『金色夜叉』の舞台の一つとなったのが熱海の海岸。主人公の間貫一と鴫沢宮が熱海の海岸を散歩したという設定で、熱海サンビーチ沿いに立つお宮の松は、小説ゆかりの地のシンボルといえる。現在の松は2代目で、すぐそばには初代の松の幹の輪切りと、別れの場面を表現した「貫一・お宮の像」や「金色夜叉の碑」、「尾崎紅葉記念碑」がある。毎年1月半ばには、お宮の松前で「尾崎紅葉祭」が開催されている。
温泉街の中央にあるパワースポット。熱泉が噴出す源泉やぐらの隣にあり、琵琶を手にした弁財天の像が立っている。この弁財天に湯をかけて願い事をすると叶うといわれている。縁結びの木「梛の木」もある。源泉ゆで玉子作り体験もでき、生玉子は熱川温泉観光協会にて購入できる。
江戸幕府から韮山の世襲代官に任命されていた江川家の邸宅。坦庵[たんなん]公と呼ばれ、兵糧用のパンを初めて焼いたり、反射炉の起工に力を注いだ江川太郎左衛門英龍[えがわたろうざえもんひでたつ]も住んでいた。母屋(重要文化財)は江戸時代の代官屋敷をそのままの形で今に伝える。太い梁を中心に細い木を格子状に組んだ天井がみどころ。建築学的に貴重な遺構で、優れた耐震構造をもつ。天保14年(1843)英龍が開校した「韮山塾の間(部屋)」も見学できる。テレビドラマの撮影でも使用されたことがある。所要30分。
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