伊勢えび大王像
国道260号沿いに立つ町のシンボルキャラクター。ビン玉の電飾で飾られた愛らしいその姿の前で記念撮影する人も多い。ビン玉は夕方から点灯する。
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国道260号沿いに立つ町のシンボルキャラクター。ビン玉の電飾で飾られた愛らしいその姿の前で記念撮影する人も多い。ビン玉は夕方から点灯する。
石川氏六万石の家老職にあった加藤家の長屋門と土蔵。建物は、平成2年(1990)の修復工事で幕末当時の姿に復元された。土蔵のなまこ壁や長屋門の白壁に城下町の面影が残っている。
天正8年(1580)に織田信長の弟・信包[のぶかね]によって築かれた津城は藤堂高虎の入城によって大改修が行われ、明治維新まで藤堂氏の居城となった。現在は堀や櫓などが残り、庭園も造られている。平成29年(2017)4月には、公益社団法人日本城郭協会による「続日本100名城」にも選定された。
昔、街道の一里ずつに木を植え、道程の目印にしたのが一里塚。野村一里塚は県下12カ所の一里塚のなかで唯一現存し、樹齢400年のムクの巨木が植えられている。国指定の史跡。
伊勢上野城は、標高40mの台地の上に造られた平山城で、織田信長の弟である信包[のぶかね]が永禄12年(1569)に津城の仮城としてここに居城を定め、天守台、本丸等を整備したものと考えられている。また、お市と茶々、初、江の浅井三姉妹が暮らしていたと言われている。現在は、本城山青少年公園として芝生広場やアスレチックも整備され、4月には花見、天守台跡の展望台や東屋からは伊勢湾が一望でき、家族連れで楽しめる。
母の病を治そうと禁漁区の阿漕浦[あこぎうら]で漁をし、処刑された親孝行息子の平治。その霊を慰めるために築かれた塚。
記紀では、日本武尊が東征の帰途、亀山で終焉を迎え、魂は白鳥と化して大和へ向かったとされている。市内北東部にあるこの墓は、ミコトの墳墓の地と伝えられ、神社や公園がある。
亀山城の外堀にあたる池の近くには昭和7年(1932)に亀山保勝会が建立した石碑が立つ。これは元禄14年(1701)5月9日に石井源蔵・半蔵兄弟が父の仇、赤堀水之助を討ち取ったことを記念する碑。当時、元禄曽我とよばれ、翌年の赤穂浪士の討ち入りと並び称された。
伊勢本街道は飛鳥時代から大和と伊勢を結ぶ重要な道であった。後江戸時代には宿場町や伝馬所などが除々に整備され、奈良・榛原を経て伊勢に至る最短コースであったことから多くの旅人などが往来したが、険しい山道も多く旅人にも恐れられていた。このように街道沿いは当時の面影偲ぶ家並み、道標などが残っている。日本の街道百選、日本の峠百選などに認定されるなど素晴らしい景観が広がっている。
関宿のお隣・亀山宿は、亀山城のお膝元で、城下町として繁栄した。関宿ほど往時を偲ばせる町並みは残されていないが、武家屋敷跡などで面影にふれることができる。
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