
常安寺
桜の名所として知られる、樋の山の麓に位置。九鬼嘉隆の菩提を弔うため、息子の守隆が慶長12年(1607)に改築したと伝えられている。家紋の七曜星と左三巴が記された本堂のガラスや棟、屋根瓦などから、九鬼家との縁の深さがうかがえる。薬師堂の鰐口や境内の石燈籠は鳥羽市の指定文化財となっている。
- 「鳥羽駅」から徒歩12分/「中之郷駅」から徒歩12分
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
桜の名所として知られる、樋の山の麓に位置。九鬼嘉隆の菩提を弔うため、息子の守隆が慶長12年(1607)に改築したと伝えられている。家紋の七曜星と左三巴が記された本堂のガラスや棟、屋根瓦などから、九鬼家との縁の深さがうかがえる。薬師堂の鰐口や境内の石燈籠は鳥羽市の指定文化財となっている。
大王埼灯台に行く途中にある。戦国時代、水軍を指揮していた九鬼一族の先祖のものとされる五輪塔が境内に立つ。九鬼氏は波切出身とされており、三代守隆[もりたか]から五代定隆[さだたか]までの名が碑銘として刻まれている。
鈴鹿山系の入道ケ岳の麓にあり、創建は大和時代と伝えられる古社。全国2500社におよぶ猿田彦大神を祀る神社の総本宮ともいわれる。杉の古木に囲まれた境内には、高山土公神陵とよばれる猿田彦大神の御陵、神水が流れ、お参りすると願いが叶うかなえ滝、松下電器産業の創始者・松下幸之助氏寄進の茶室などがある。
内宮の所管社の一つで、木華開耶姫命[このはなさくやひめのみこと]を祀る。もとは宇治館町の産土[うぶすな]の神であったともいわれ、安産や子授けの神として今も地元の人たちに広く信仰されている。
木々に覆われた静寂な雰囲気の中に、須佐之男命[すさのおのみこと]を祭る茅葺きの社殿と樹齢2000年の大楠が立つ。かつてこの地を旅した須佐之男命が、親切な蘇民将来[そみんしょうらい]の一家に助けられ、お礼に悪疫退散の札を授けたとの故事が残る。これが伊勢志摩地方に今も伝わる門符の由来。背後のうっそうとした森の中に、蘇民の家があったと伝えられている。
仁侠史最大の大出入りといわれる「荒神山の喧嘩」の舞台として有名な真言宗御室派の寺院。十一面観音菩薩を祭る本堂のほか、勝負師の信奉が厚い奥ノ院、春日局が寄進した釣鐘などがある。
1400年の歴史をもつ、弘法大師ゆかりの寺。本堂の摩尼殿は国の重要文化財に指定。6月下旬には開山忌が催される。
五十鈴川のほとりにある手洗場。敷き詰められた石畳は、徳川綱吉の生母、桂昌院[けいしょういん]の寄進といわれる。ここで心身を清めてから参拝するのが習わしだ。
参道の突き当たり。30余段の石段の上にあり、内宮の御祭神である天照大御神を祀る。外宮と同様に、一般の参拝は、外玉垣[とのたまがき]南御門の絹の幌の前で。4重の垣に囲まれた彼方に、唯一神明造の正殿の萱葺き屋根と金色に光る千木、鰹木をわずかに拝することができる。平成25年(2013)の第62回式年遷宮で隣接する西の御敷地に社殿が建てられた。
豊受大御神の荒御魂[あらみたま]を祀る、外宮の第一別宮。土宮の前の石段を登った山の中腹にある。荒御魂は、積極的で活動的な御魂。地元では新しいことに挑戦するときなどに参ると良いといわれる。明治以前は高宮とも書かれていた。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。