梵潮寺
約650年前、後醍醐天皇の勅願によって創建された臨済宗南禅寺派の名刹。十一面観音を本尊にしている。境内には樹齢700年とも800年とも言われている大ソテツがある。大晦日には除夜の鐘を開放。甘酒もふるまわれる。
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約650年前、後醍醐天皇の勅願によって創建された臨済宗南禅寺派の名刹。十一面観音を本尊にしている。境内には樹齢700年とも800年とも言われている大ソテツがある。大晦日には除夜の鐘を開放。甘酒もふるまわれる。
御座にある爪切不動尊の境内には本堂、大師堂、薬師堂などがある。本尊は、弘法大師がこの地の自然石に自らの爪で刻んだと伝えられる不動明王。絶対秘仏とされている。また、さすると悪いところが治るとされるなで石が有名。
5世紀後半、雄略天皇の御代に社殿が造営。北伊勢地方に鎮座し伊勢神宮との関係が深く「お伊勢参らば お多度もかけよ お多度かけねば片参り」と謡われ、北伊勢大神宮とも称される。お伊勢参りの時には、必ず多度大社へも参拝する習わしが残るなど、全国の人々から篤い崇敬を受ける歴史の深いお社。また、しあわせ運ぶ神の馬「白馬伝説」が伝えられており、1年を通して幸せを願う参拝者が訪れる。春(5月4・5日)に上げ馬神事が、秋(11月23日)には流鏑馬神事が行われるなど。「うま」との関わりの深い神社である。
結城神社は、鎌倉幕府倒幕と建武中興に功のあった、南北朝時代に活躍した南朝方の武将・結城宗広を祀る神社。宗広の臨終の地・結城塚があった地に、津藩十代藩主・藤堂高兌が文政7年(1824)に社殿を造営したのが始まり。梅の名所としても知られ、昭和62年(1987)に社殿とともに整備された梅苑には、宗広の立派な墓碑のほか、「結城さんのしだれ梅」と呼ばれる約300本の枝垂れ梅をはじめとする梅の木が植えられ、2月中旬~3月中旬に満開となる。
白い汗をかくと吉事、黒い汗をかくと凶事があるといい伝えられている石地蔵が、境内に安置されている。座高1mほどのこの地蔵、昔、大王崎で網にかかった大石を漁師が持ち帰ったところ、次第に地蔵の形に変わったとか。小首をかしげている地蔵も鎮座し、こちらは思案地蔵とよばれる。毎年2月24日には地蔵祭りが開催。本尊の薬師如来像は鎌倉期に作られ、当時の特徴を備えている。
御座の海中に鎮座する石仏。干潮時に姿を現す。下半身の病気や、子宝を授からない人に霊験ありとか。
境内に並んで鎮座する瀧原宮、瀧原竝宮[たきはらのならびのみや]は、ともに皇大神宮(内宮)の別宮。天照大御神の御魂を祀っている。本殿までの参道脇には樹齢数百年の杉が生い茂り、荘厳な雰囲気が漂う。
天長2年(825)、弘法大師が朝熊山の金剛證寺を創建した際、奥の院として建てたと伝わる。戦国時代には、九鬼嘉隆が鳥羽城を築城する際に安全を祈願。鳥羽藩代々の祈願所となっていた。永禄4年(1561)建立の本堂(重要文化財)は、朱塗りの寄棟造に柿葺き。内部の格天井には、極彩色で花・天女・仏像が描かれている。鎮守堂(重要文化財)は柿葺きの一間社流造。「再興慶長十年…」などと書かれた棟札が残る。1月は鮮やかな濃い黄色の蝋梅、春には桜が楽しめ、秋は紅葉で色付く。加茂駅~金剛證寺のハイキングコースは所要4~5時間。
秋には参道や境内がモミジを中心とする赤い紅葉に彩られ情緒がある。春は桜の名所でもある。三重県の重要文化財に指定されている八角形の梵鐘でも有名。参道には、33体の観音像があり、西国33所巡りができる。国道166号からの参道は、道幅が狭いので注意が必要。
奈良時代に開創された古刹。天平時代に造られた本尊は、かの織田信長も平伏したと伝えられる。本堂は大正6年(1917)に再建され、内部大間の天井は156枚の絵をはめ込んだ珍しい絵天井造りだ。鎮守の毘沙門天は勢州七福神の札所のひとつ。
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