
金印公園
天明4年(1784)、志賀島の農民甚兵衛が、大石の下から「漢委奴國王」金印を発見したと伝えられる所。能古島の也良岬を対岸に望む公園の入口には、「漢委奴國王金印発光之処」記念碑が建ち、園内には福岡の地と関係が深かった中国の古代史家で文学者でもあった郭沫若[かくまつじゃく]の詩碑や金印のレプリカ等が設置されている。卑弥呼の時代を思い起こさせる風景がそこにある。
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天明4年(1784)、志賀島の農民甚兵衛が、大石の下から「漢委奴國王」金印を発見したと伝えられる所。能古島の也良岬を対岸に望む公園の入口には、「漢委奴國王金印発光之処」記念碑が建ち、園内には福岡の地と関係が深かった中国の古代史家で文学者でもあった郭沫若[かくまつじゃく]の詩碑や金印のレプリカ等が設置されている。卑弥呼の時代を思い起こさせる風景がそこにある。
明治42年(1909)、日本生命保険株式会社九州支店の社屋として建てられた赤レンガの建物。東京駅を設計した辰野金吾らの設計で、国の重要文化財に指定されている。1階はエンジニアカフェおよび喫茶室、2階は有料の会議室。大理石の玄関や照明器具、カーテンは建築当時の仕様に復元。夜にはライトアップされる。所要15分。
初代福岡藩主・黒田長政[くろだながまさ]が慶長6年(1601)から7年がかりで築城した福岡城は、大中小の天守台と47の櫓を配した壮大な平山城だった。現在は多聞櫓(重要文化財)と大手門、潮見櫓などが当時の面影をとどめている。周辺は舞鶴公園として整備。高台には展望台が設置され、福岡タワーやPayPayドームまで見渡せる。
みずほPayPayドーム福岡8番ゲート前に立つ鷹観世音大菩薩立像。平成17年(2005)に建立され、背後に大きく広げた鷹の羽のようなオブジェをもつ高さ2mのホークスの守護神で、この守護神がホークスを勝利に導いてくれる。王会長やホークスの監督・選手も、勝利の祈願に訪れるスポット。ここに訪れる人々の結縁や子授け、安産成就、学力向上なども祈念して建立されているのでドームを訪れたら参拝を。
明治時代のフレンチルネッサンスを基調とした国指定の重要文化財。大理石の暖炉や瀟洒なレリーフが設けられ、来賓を接待しての夜会が催されていた華やかな時代を今に伝える建物だ。各室とも意匠が凝ってあり、見ごたえたっぷり。
門司港レトロ地区にある、八角形の塔屋が目を引く大正時代の建物。大陸航路の待合室的存在だった。1階はわたせせいぞうギャラリーおよび、門司港デザインハウスとなっている。
明治時代の九州産業界の重鎮・松本健次郎が、明治41~45年(1908~1912)に住宅と迎賓館を兼ねて建てたもの。アール・ヌーボー様式を取り入れた洋館と、車寄せの玄関をもつ書院造の日本館が立つ。一般公開は年1回予定。食事は完全予約制で、ランチ・ディナー営業あり。
寛政元年(1789)に造られた水車(史跡)で、約230年の歴史を刻む米どころ朝倉のシンボル。当時の高度な技術と多大な労力が費やされた、貴重な文化財でもある。筑後川の流れを受けた堀川用水にかかる水車は3連水車のほか、三島・久重にも実働する2連水車が2基あり、毎年6月中旬から10月上旬の農繁期になると、今でも周囲35万平方mの農地を潤し続けている。ゴットンゴットンと音を響かせるところから「田圃のSL」との愛称も生まれた。
久留米城跡は江戸時代、約250年間を治めた有馬氏の居城跡。藩祖有馬豊氏を祀る篠山神社があり、今も残る見事な石垣、内壕、井戸などが歴史を偲ばせている。春は桜がお濠に映り込み、8月には涼やかな音色の「鈴虫まつり」も。四季の彩りを感じながらの散策は心癒される。
寺町にある、江戸時代後期に活躍した上州(現在の群馬県)出身の尊皇家。寛政の三奇人といわれ、全国を遊歴して王政復古を唱えたが幕府の執政に絶望。寛政5年(1793)、身を寄せた久留米の医師・森嘉膳宅で自決。亡骸は寺町の遍照院に埋葬された。そばには彼の後を追って死んだ酒好きの西道俊のひょうたん墓が立っている。
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