黒門
秋月城跡にある、黒一色に塗られたかつての大手門。古処山城の搦手門[からめてもん]だったのを、黒田長興が入府した寛永元年(1624)に移されたという伝承も残っている。県指定文化財。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
秋月城跡にある、黒一色に塗られたかつての大手門。古処山城の搦手門[からめてもん]だったのを、黒田長興が入府した寛永元年(1624)に移されたという伝承も残っている。県指定文化財。
明治41年(1908)に建てられた、旧三井財閥の迎賓館。明治を代表する西洋建築といわれ、近代文化遺産に指定されている。緑豊かな庭園に囲まれ、フランス料理がランチ2750円~やディナー8470円~で楽しめる。
国指定史跡の津屋崎古墳群の中でも、最も多くの古墳が集中している古墳群。現在は水田となっているかつての入海に面した台地上に5世紀から6世紀にかけて築かれた前方後円墳5基、方墳1基、円墳35基の計41基の古墳が築かれている。古墳群南側の展望所からは、田んぼの中に点在する古墳と宗像大社中津宮が鎮座する大島と沖ノ島へと続く海を一望することができる。沖ノ島への信仰を育んだ古代豪族・宗像氏の存在を証明する墳墓群として、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産として世界遺産に登録された。
寺町にある、江戸時代後期に活躍した上州(現在の群馬県)出身の尊皇家。寛政の三奇人といわれ、全国を遊歴して王政復古を唱えたが幕府の執政に絶望。寛政5年(1793)、身を寄せた久留米の医師・森嘉膳宅で自決。亡骸は寺町の遍照院に埋葬された。そばには彼の後を追って死んだ酒好きの西道俊のひょうたん墓が立っている。
初代福岡藩主・黒田長政[くろだながまさ]が慶長6年(1601)から7年がかりで築城した福岡城は、大中小の天守台と47の櫓を配した壮大な平山城だった。現在は多聞櫓(重要文化財)と大手門、潮見櫓などが当時の面影をとどめている。周辺は舞鶴公園として整備。高台には展望台が設置され、福岡タワーやPayPayドームまで見渡せる。
みずほPayPayドーム福岡8番ゲート前に立つ鷹観世音大菩薩立像。平成17年(2005)に建立され、背後に大きく広げた鷹の羽のようなオブジェをもつ高さ2mのホークスの守護神で、この守護神がホークスを勝利に導いてくれる。王会長やホークスの監督・選手も、勝利の祈願に訪れるスポット。ここに訪れる人々の結縁や子授け、安産成就、学力向上なども祈念して建立されているのでドームを訪れたら参拝を。
福岡と大分の県境にある大ノ瀬官衙遺跡に隣接し、全国でも珍しい史跡一体型の道の駅。物産館では新鮮な野菜や地元産レモンを使ったケーキやタルトが人気。「ピッツァ フィエロ」では、イタリアから仕入れた食材と上毛町産の旬の野菜を使ったピッツァが味わえる。自慢の石釜で焼き上げたここでしか味わえない一品が好評。中央にある芝生広場では地元で採れた農産物の販売やフリーマーケットが行われることも。
明治末期に料亭「懐月楼」として建造され、その後「松月」と名を替えた建物を改装した史料館。北原白秋をはじめ、木俣修、野田宇太郎、原田種夫など、柳川ゆかりの文人達のサロン的な場所であった。現在、彼らの残した色紙や写真などが展示され、当時の雰囲気を伝えている。
電信電話の博物館。明治から現代までに活躍した電信・電話機等を展示、通信のあゆみが一目でわかる。街角で多くの人に親しまれてきたカラフルな公衆電話機は写真映えする人気のコーナー。かつての電話交換手の仕事が体験できるほか、レトロな電話機で会話を楽しんだり、モールス信号を打ったりできる。建物は大正13年(1924)「門司郵便局電話課庁舎」として建てられた100年前の技術の粋を集めた鉄筋コンクリート造り。正面は垂直線を基調に柱の反復がリズムを織りなす意匠で、門司港地区のレトロ建築を代表する建物のひとつだ。
バナナの叩き売りは大正時代に、九州の大都会であり貿易港として栄えていた門司で発祥したと言われている。現在は、観光地である門司港レトロ地区を代表する伝統芸能として親しまれていて、週末や、イベント・地域の祭りなどでバナナの叩き売りの懐かしく威勢のよい口上を聞く事ができる。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。