
黒門
秋月城跡にある、黒一色に塗られたかつての大手門。古処山城の搦手門[からめてもん]だったのを、黒田長興が入府した寛永元年(1624)に移されたという伝承も残っている。県指定文化財。
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秋月城跡にある、黒一色に塗られたかつての大手門。古処山城の搦手門[からめてもん]だったのを、黒田長興が入府した寛永元年(1624)に移されたという伝承も残っている。県指定文化財。
明治末期に料亭「懐月楼」として建造され、その後「松月」と名を替えた建物を改装した史料館。北原白秋をはじめ、木俣修、野田宇太郎、原田種夫など、柳川ゆかりの文人達のサロン的な場所であった。現在、彼らの残した色紙や写真などが展示され、当時の雰囲気を伝えている。
大宰府は、九州の「管内統括」、外国に対する「防衛機能」、帰化や外国使節に対応する「対外機能」という3つの役割をもつ、古代最大級の地方官衙[かんが](役所)。ここはその中枢で、広大な敷地に並ぶ礎石が当時の繁栄ぶりを物語る。現在は史跡として整備され市民の憩いの場。発掘で出土した遺構を保存公開する大宰府展示館も隣接している。平成27年(2015)に認定された日本遺産”古代日本の「西の都」~東アジアとの交流拠点~”の構成文化財の1つでもある。国指定特別史跡。
玄界灘に面した丘陵地に点在する古墳群の総称。南北約8km、東西約2kmの広い範囲にわたって、勝浦高原古墳群、勝浦峯ノ畑古墳、新原・奴山古墳群、須多田古墳群、宮地嶽古墳、手光波切不動古墳など前方後円墳16基、円墳43基、方墳1基の総数60基から構成される。一部を除き国の史跡に指定されている。古墳は5世紀から7世紀に造られた。沖ノ島への信仰を育んだ古代豪族、宗像氏の墳墓群。中でも新原・奴山古墳群は世界遺産“「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群”の構成資産に登録されている。
慶長7年(1602)から7年の歳月をかけ細川忠興により築城された小倉城。4階よりも5階の方が大きい「唐造り」が特徴。失火や戦闘により焼失した後、昭和34年(1959)に再建された福岡県内では唯一の天守閣。高さは全国6位、1階の床面積も最大級で、国内では3番目の大きさを誇る。天守閣内はエレベーター完備。様々な展示やアトラクションを楽しみながら小倉藩の歴史が学べる。最上階は地元の有名カフェが出店するキャッスルカフェとなっている。縁の深い武将が登場する「小倉城武将隊」も大人気。
秋月城跡にあり、正しくは内馬場裏御門。かつて側室が住む屋敷の通用門として使われた。県指定文化財。
筑後川の河口にかかる旧国鉄の可動橋。全長は507m。可動橋部分の長さは24mあり、昭和10年(1935)の完成当時は東洋一の可動橋としてもてはやされた。昭和62年(1987)佐賀線の廃止により、現在は遊歩道として歩いて渡ることができる。
秋月の中心部に位置する町家。2棟続きの建物を1棟に統合し、その後再び分割されたという平行2棟型の珍しい町家。寛政11年(1799)に建てられ、後年当初の建材を使って改築された東棟はどっしりしたたたずまい。普段は実際に生活が営まれているので外観のみの見学。県指定文化財。
国指定史跡の津屋崎古墳群の中でも、最も多くの古墳が集中している古墳群。現在は水田となっているかつての入海に面した台地上に5世紀から6世紀にかけて築かれた前方後円墳5基、方墳1基、円墳35基の計41基の古墳が築かれている。古墳群南側の展望所からは、田んぼの中に点在する古墳と宗像大社中津宮が鎮座する大島と沖ノ島へと続く海を一望することができる。沖ノ島への信仰を育んだ古代豪族・宗像氏の存在を証明する墳墓群として、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産として世界遺産に登録された。
電信電話の博物館。明治から現代までに活躍した電信・電話機等を展示、通信のあゆみが一目でわかる。街角で多くの人に親しまれてきたカラフルな公衆電話機は写真映えする人気のコーナー。かつての電話交換手の仕事が体験できるほか、レトロな電話機で会話を楽しんだり、モールス信号を打ったりできる。建物は大正13年(1924)「門司郵便局電話課庁舎」として建てられた100年前の技術の粋を集めた鉄筋コンクリート造り。正面は垂直線を基調に柱の反復がリズムを織りなす意匠で、門司港地区のレトロ建築を代表する建物のひとつだ。
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