明智城跡
本能寺の変で有名な明智光秀が出生から約30年を過ごしたと言われる明智城跡。散策路もあるので歴史ロマンを胸に散歩してみよう。
- 「明智(名鉄)駅」から徒歩23分
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本能寺の変で有名な明智光秀が出生から約30年を過ごしたと言われる明智城跡。散策路もあるので歴史ロマンを胸に散歩してみよう。
大名や幕府役人の宿として利用された旧脇本陣。明和6年(1769)に建設された居室部と、やや遅れて建てられた座敷部からなり、国の重要文化財にも指定されている。切妻屋根の両端には立派なうだつが上がり、この家の当時の権威や格式の高さが伺い知れる。現在、主家に隣接する隠居家は一般公開され、江戸時代の町家の雰囲気や貴重な遺構を見学できる。
戦国の智将、竹中半兵衛ゆかりの地。豊臣秀吉の軍師として名高い竹中半兵衛の嫡子で、関ケ原合戦にも参戦した重門が築いた陣屋跡。白壁の正門と石垣、堀の一部が残っている。
関ケ原駅から北西へ延びる街道沿いがかつての主戦場。向かって前方左手が石田方西軍の笹尾山、後方右手が徳川方東軍の桃配山[ももくばりやま]。戦死者を葬った首塚、各武将の陣跡なども点在する。
昭和11年(1936)建築。平成6年(1994)まで利用されていた、八幡町役場(国登録有形文化財)の建物を改装。レトロな洋風建築の内部には、観光アドバイスをしてくれるインフォメーションや無料休憩サロンやけいちゃん定食、明方ハムステーキ定食など、地元食材を使った料理が楽しめる食事処と特産品販売コーナーもある。
庄川河畔に、古くから伝わる家屋5棟を移築保存。その一つ旧三島家は、宝暦13年(1763)に建てられたもので、当初は寄棟式合掌造だったが、明治初期に切妻板葺きに改築。県内で最も早く四間取り形式を取り入れ、飛騨地方の民家の基本形となっている。旧渡辺家は寄棟式入母屋合掌造で、江戸時代末期の建築と推定されている。所要40分。
落合宿にある中山道でも数少ない、往時の面影を色濃く残す本陣。ここはかつて、落合の庄屋として名字帯刀[みょうじたいとう]を許された名家、井口家の屋敷だった。明治天皇のご巡幸や皇女和宮[かずのみや]降嫁の際には、この本陣で休息をとられた。※日曜9~16時見学可能。
荻町最大の合掌造り住宅。江戸中期の建築とみられ、国の重要文化財にも指定されている。天正元年(1573)以来、和田家は、代々弥右衛門の名を継ぎながら名主を務めた。火薬の原料となる塩硝[えんしょう]の取引も許され、式台付きの玄関などに格式の高さがうかがえる。囲炉裏の間や仏間があり、昔、実際に使われていた生活用具や民具、農具のほか、婚礼時や祝い事に使用された赤漆の食器などが展示されている。集落全体が世界遺産となっている。
文治元年(1185)に築城され、織田信長の叔母が城主をつとめた城。標高717mの天嶮の地形を利用した日本三大山城のひとつで、「日本100名城」にも選定。城下には400年の歴史を誇る町並みが形成、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
中山道を江戸板橋宿から数えて45番目の宿場町として栄えた中津川宿は、旅籠だけでも大小29軒を数える大きな宿場だった。現在、本町にある本陣跡地には、石碑が残されている。周辺には古い家屋も立ち並び、卯建[うだつ]のある家なども見ることができる。
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