
旧野首家
高山市片野町から移築。屋根は板葺石置屋根両妻葺きおろしで、江戸初期の飛騨の農家の様式をとどめる。居間、台所、仕事場を兼ねた室内の広い土間が特徴。
- 「高山駅」から徒歩19分
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高山市片野町から移築。屋根は板葺石置屋根両妻葺きおろしで、江戸初期の飛騨の農家の様式をとどめる。居間、台所、仕事場を兼ねた室内の広い土間が特徴。
戦国の智将、竹中半兵衛ゆかりの地。豊臣秀吉の軍師として名高い竹中半兵衛の嫡子で、関ケ原合戦にも参戦した重門が築いた陣屋跡。白壁の正門と石垣、堀の一部が残っている。
平成7年(1995)にユネスコの世界文化遺産に登録された白川郷の集落。大小100余りの茅葺屋根の合掌造りの民家が深い谷に寄り添うように並ぶ様は、まさに日本の原風景。四季折々の美しい光景が広がる。今でも普通に人々の生活が営まれているのも特徴の一つだ。国指定重要文化財の和田家をはじめ、長瀬家や田島家など内部を見学できる民家もあり、伝統的家屋の構造や工夫、知恵、生活を知ることができる。食事処やカフェ、民宿を営んでいる民家もあるので事前チェックを。集落全体を眺めるなら荻町城跡展望台がおすすめ。なお、住民生活とプライバシー保護のため、宿泊客を除く夜間の観光はできない。
白川郷荻地区にある合掌造り民家の見学施設。江戸後期、宮大工が10年もかけて建造したという4階建てで、合掌造り家屋の中でも高い完成度を誇る。常に囲炉裏には火が焚かれており、駒尻の構造や床下、火見窓など特徴的な構造を細部まで見学できる。敷地内に立つ唐臼小屋や稲架倉もチェックして。見学予約は公式HPから。
落合宿にある中山道でも数少ない、往時の面影を色濃く残す本陣。ここはかつて、落合の庄屋として名字帯刀[みょうじたいとう]を許された名家、井口家の屋敷だった。明治天皇のご巡幸や皇女和宮[かずのみや]降嫁の際には、この本陣で休息をとられた。※日曜9~16時見学可能。
明治8年(1875)の大火後に建てられた建物で、間口6.4m程度のごく標準的な商家。奥行きは22m程度あり、母屋・中庭・土蔵と並んでいる。大新町周辺は越中街道沿いに開けた商人町であったこともあり、伝統的様式の町家が残っているが、なかでも宮地家は改造を加えていないとても貴重なもの。屋号を「宮地屋」といい、かつては農業と商業を営んでいた。
湯ケ峰山麓の縄文・弥生遺跡を公園として整備。園内には、昭和41年(1966)に発掘した峰一合[みねいちご]遺跡があり、竪穴住居2棟と弥生時代の住居1棟が復元されている。
かつては船宿が立ち並び、多くの物資や人が桑名と大垣を往来した水門川の港跡。俳人・松尾芭蕉が奥の細道の旅を終えたむすびの地としても知られ、「蛤のふたみに別行秋ぞ」と詠み、ここから桑名へ下ったとされる。現在も当時の面影が静かに残る。松尾芭蕉が紀行文学『奥の細道』で表現した景観美を継承しつつ、往時の遺風を伝える場所として、その鑑賞上の価値が高いことから「おくのほそ道の風景地大垣船町川湊」として平成26年(2014)に国の名勝に指定された。
本能寺の変で有名な明智光秀が出生から約30年を過ごしたと言われる明智城跡。散策路もあるので歴史ロマンを胸に散歩してみよう。
標高353mの八幡山山頂に建つ、4層5階の山城。戦国時代末期永禄2年(1559)に陣が置かれたのが始まり。現在の天守は昭和8年(1933)に再建された日本最古の木造再建城。郡上八幡の城下町が一望できる絶景スポットの他、もみじの名城としても人気。新緑や紅葉の時期は多くの人で賑わう。
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