
墨俣一夜城址公園
木下藤吉郎(豊臣秀吉)が一夜にして築きあげたという墨俣一夜城。その城址には城郭天守の体裁を整えた歴史資料館がある。周りを流れる犀川の堤防には、桜とあじさいが植えられ、別名「桜堤防・あじさい街道」ともいわれている。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
木下藤吉郎(豊臣秀吉)が一夜にして築きあげたという墨俣一夜城。その城址には城郭天守の体裁を整えた歴史資料館がある。周りを流れる犀川の堤防には、桜とあじさいが植えられ、別名「桜堤防・あじさい街道」ともいわれている。
関ケ原合戦の際、桃配山に本陣を布いた家康が戦の状況を見ながら陣を進め、最後に陣取ったのがこの場所。最大の激戦の場となった決戦地のすぐ近くで、家康は最後まで自軍を指揮した。
木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が、美濃侵攻にあたって信長の命令により一夜にして築いたと伝わる墨俣城。現在は当時の砦ではなく、城郭天守の体制を整えた歴史資料館となっている。館内の展示は墨俣築城と秀吉の歩んだ道を中心に紹介している。
大正5年(1916)に完成し、現存する国内最古の近代吊り橋として国の重要文化財にも指定。主柱は鉄筋コンクリート、床は木製という橋の長さは113mあり、徒歩や自転車でなら吊り橋を渡ることもできる。
本能寺の変で有名な明智光秀が出生から約30年を過ごしたと言われる明智城跡。散策路もあるので歴史ロマンを胸に散歩してみよう。
大名や幕府役人の宿として利用された旧脇本陣。明和6年(1769)に建設された居室部と、やや遅れて建てられた座敷部からなり、国の重要文化財にも指定されている。切妻屋根の両端には立派なうだつが上がり、この家の当時の権威や格式の高さが伺い知れる。現在、主家に隣接する隠居家は一般公開され、江戸時代の町家の雰囲気や貴重な遺構を見学できる。
標高353mの八幡山山頂に建つ、4層5階の山城。戦国時代末期永禄2年(1559)に陣が置かれたのが始まり。現在の天守は昭和8年(1933)に再建された日本最古の木造再建城。郡上八幡の城下町が一望できる絶景スポットの他、もみじの名城としても人気。新緑や紅葉の時期は多くの人で賑わう。
三代城主・金森重頼の弟、重勝の屋敷があった場所。町年寄川上斉右衛門の別邸となったのちの所有者、平田家と小森家が高山市に寄贈。池泉回遊式庭園と、左官の名手・江戸屋万蔵作の江戸後期建築の土蔵がある。
建物の建築年代は文政9年(1826)と推定され、高山市で最も古い町家の1つ。創建以来ほとんど手を入れていない貴重な住宅として国の重要文化財の指定を受けている。約793平方mの敷地に主屋、米蔵、漬物蔵が立つ。主屋は切妻造の2階建てで、正面の小庇[こひさし]などに高山の町家の原型を見ることができる。松本家は蝋燭[ろうそく]で財をなした家で、米蔵には当時の商売道具類を展示している。
明治37年(1904)、豪雨で山崩れが起こり一家4人が犠牲になったことを悼んで立てられた鎮魂碑。下方には、島崎藤村の筆による「山家にありて水にうもれたる蜂谷の家族四人之記念に島崎藤村しるす」の一文が刻まれている。現在は水車小屋が復元され、周辺は休憩の場となっている。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。